TRANSLATION

ジャズ喫茶のマッチ 関東 (3)

ジャズ喫茶のマッチ 関東 (3)

「ジャズ喫茶のマッチ」シリーズ、前回に続き吉祥寺の店の登場です。

また、村上春樹がアルバイトをしていたという高円寺のジャズ喫茶や懐かしい荻窪の店など、中央線沿線の各店も。

新宿「モア」ジャズ喫茶案内
吉祥寺・プチロードの、蔦に絡まれた古い感じのビルの2階にある「モア」。1982 年に訪れてマッチをいただきました。店内はログハウスのような雰囲気でよかったです。昼間はジャズ喫茶、夜はバー。スピーカーはKLHでした(今はソナスファベール)。今も健在です。(松浦)
吉祥寺「ジョン・ヘンリーズ・スタディ」ジャズ喫茶案内
吉祥寺・プチロードの山水ビル3階にある「ジョン・ヘンリー・スタディーズ」。同じビル2階の「モア」と同じく寺島靖国氏のお店。オープンして2年目の1982年に訪れてマッチをいただきました。フィル・ウッズなど私の好きなプレイヤーが流れていました。現在はジャズの聴けるカフェバーのようです。(松浦)
吉祥寺「サムタイム」ジャズ喫茶案内
1975年創業の吉祥寺の老舗ライブハウス「サムタイム」。野口伊織氏の有名なお店で昼間はジャズ喫茶タイムがありました。1982年に初めて北口サンロードISEYA地下のお店に訪れて以来、幾度か通いました。煉瓦の壁、天井のむき出しの空調設備、中2階の席、シカゴの地下街をイメージし店内の設計でインテリア・デザイン賞を受賞しています。スピーカーはJBLランサーでした。(松浦)
吉祥寺のジャズ喫茶のマッチ
60〜70年代のジャズ喫茶の古いマッチをお持ちの福山信一郎さんのコレクションから、1973〜74年頃のもの。上左は老舗「ファンキー」。上右は近鉄デパート裏にあった「フィフティ」。「メグ」や「ファミリー」のすぐ近くにあり、クロスオーバー系がよくかかり、朝方まで営業していました。下左の「メグ」のマッチは、同店が70年代前半に使っていた古いロゴが使われています。松浦成宏さんがお持ちのハンフリー・ボガートをあしらったデザインは1980年からのもの(ちなみに画像はありませんがコーヒーカップに手が伸びているイラストをあしらったものは1970年代後半のもの)。「ファミリー」も70年代後半以降のものとは色もデザインが違う、初期のものです。(ジャズ研ジャズ喫茶部さん)
高円寺「ホットハウス」ジャズ喫茶案内
国鉄(JR)高円寺駅北口中央通入り口地下にあった「ホットハウス」。1974年に訪れてマッチをいただきました。マッチの文字がALTECA7のスピーカーの形、ホーン等の文字化でかっこいいです。デクスター・ゴードンなどハードバップのレコードがかかっていて本格的なジャズ喫茶でした。(松浦)
高円寺「as soon as」ジャズ喫茶案内
国鉄(JR)高円寺駅南口近くのビルの2階「As Soon As」。1974年と75年に訪ねてマッチをいただきました。村上春樹氏が1974年に国分寺にジャズ喫茶「ピーター・キャット」を開く前の一時期、ここでアルバイトをしたこともあったようです。ライブもやっていたようです。スピーカーはアルテックA-7とJBLオリンパス。(松浦成宏)
荻窪「グッドマン」ジャズ喫茶案内
国鉄(JR)荻窪駅前の菓子屋の2階にあった「グッドマン」。店名はベニー・グッドマンからとったようです。1974年に初めて訪れてマッチをいただきました。壁には色々なレコードが飾ってあった記憶があります。スイング、モダン、フリージャズと幅広く流れていました。スピーカーはアルテック。その後ライブ中心になりましたがジャズ喫茶タイムがあった時までは何度か訪れました。現在は高円寺に移転してライブハウスになっているようです。(松浦)このマッチの絵は名古屋の画家、演出家岩田信市による「Running Man」。岩田氏は1965年頃に名古屋のモダンジャズ喫茶の草分け「グッドマン」のオーナーとなり、東京・荻窪の「グッドマン」は名古屋のスタッフが東京で開いたもの。店名は岩田氏によるとベニー・グッドマンと当時垂涎の的だったスピーカー、「グッドマン」の両方をかけたものとか。(ジャズ研ジャズ喫茶部)

松浦さんのジャズ喫茶マッチコレクションは

「シギーのブログ」にもアップされています。

AD




JAZZ CITY LLC
「ジャズ喫茶案内」運営管理会社。雑誌、書籍、ウェブなど各種メディアの取材、撮影、原稿執筆、編集を承ります。お問い合わせ、お仕事のご依頼、連絡先⇨mail@jazzcity.jp

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

AD&記事