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日本語版ダウン・ビートとジャズ喫茶「木馬」

日本語版ダウン・ビートとジャズ喫茶「木馬」

マイルス・デイヴィスのモノクロ写真をダブルトーンで処理した、まるでブルーノートのジャケットのような表紙。

『日本語版ダウン・ビート』の最終号だ。

アメリカのジャズ専門誌『Down Beat』の提携誌として1960年6月に新興楽譜出版社(現シンコーミュージック・エンタテイメント)から創刊され、この号までの約2年間、計22号を発行して休刊となった。

『Down Beat』からの翻訳転載と日本語版編集部による独自記事で構成された雑誌だった。

当初は相倉久人が編集長となる計画だったが創刊準備中に相倉が辞退、同社専務取締役の草野昌一が編集長をつとめた(草野はのちに同社社長、会長に就任)。

この表紙には、収録されている各記事のタイトルがまったく印刷されていない。

誌名も当時としては珍しく英語表記のほうが大きく、当時のアメリカ版のロゴをそのまま用いている。

デザインは、雑誌名と発行月号とマイルスの写真1枚のみで構成されている。あとは第3種郵便物認可取得済みを示すクレジットだけという、徹底して“スカした”スタイルだ。

これでは、販売部門や取次会社、書店から「売れない」という声が出てきても仕方がない。

1970年代に入ったあたりから顕著になる傾向だが、通常の雑誌は、表紙をみればすぐに中身がわかるように、大小さまざまな記事見出しを入れて満艦飾となっている。電車の車内吊り広告をそのまま落とし込んだような表紙で中身をアピールしないと[売れない]というのが出版業界のセオリーだ。

文字情報を極力控えるというスタイルはアメリカのグラフィック雑誌『LIFE』などから影響を受けたのだろう。

日本でも戦前から『アサヒグラフ』のようなグラフィック中心の表紙で押し出してくる高級誌はあったが、娯楽的要素の強い音楽誌となると、当時ここまで思い切ったデザインをしていたのはこの『日本語版ダウン・ビート』と競合誌の『スイングジャーナル』ぐらいではないか。

しかし、誌名を日本語よりも英語のほうを大きく表記し、小林泰彦や阿部克自をデザイナーとして起用したり、真鍋博のイラストを入れるなどして『スイングジャーナル』よりももっとバタくさいテイストを徹底させていたのは『日本語版ダウン・ビート』だった。

これはヴィジュアルの訴求力を重視する雑誌作りにこだわり続けた草野昌一の編集方針を反映したものだろう。

そして、そのもとで十二分に力を発揮したのが、当時はまだ大学を出たばかりだったという、のちのスイングジャーナル編集長児山紀芳だった。この最終号にいたっては、ほとんど児山独りで編集をしていたのではと思われるほどの活躍ぶりだ。だが、ここまで洗練されてしまったら、大衆的な人気をつかむのはやはりむずかしい。

この『日本語版ダウン・ビート』に「ジャズ喫茶のぞきあるき 絵と文 橋本 勝」という、イラストと文によってジャズ喫茶を紹介する連載コラムがある。広告掲載の見返りとしてこのような企画を立てたものと思われるが、それまで広告として誌面に登場することはあっても、読み物としての切り口でジャズ喫茶を紹介する記事は、おそらくこの企画が雑誌史上初めてではないだろうか。(注:その後の調査により、『スイングジャーナル』1956年11月号にて『ジャズ喫茶歩き』と題された東京都内のジャズ喫茶8軒を計3ページにわたって紹介するタイアップ広告記事が掲載されていたことが判明)

日本語版ダウン・ビート1962年4月号
日本語版ダウン・ビート1962年4月号掲載の「ジャズ喫茶のぞきあるき(3)」p44

記事は2分の1ページ弱の大きさで、イラストはワンカットで文章も短いが、店の特徴を的確にとらえているように感じられる。カタカナの多い文体が時代を感じさせて味わい深い。写真だと読みづらいと思うので、テキストを以下に抜粋しておこう。

ヨット(新宿)

ズバリ家庭的なフン囲気が、この店のモットーです……ダカラここの常連の客は、自分のウチみたいにデカイ、ツラしてます。

深夜のヨットは、ダンモ好きなフクロウ族の店です。夜中にココに行くと、イマス、イマス!バンドのおじさん達、生まれつき日焼けてるダンナ達、自家用車でやって来る六本木族など、みんな夜と昼がひっくり返った野郎どもと女たちです。「一日のモウケの6割は、このミッドナイトのお客さんなんです」とマスターが教えてくれました。そしてガールがハントされ、ボーイがハントされる。そんなことが自然に行なわれちゃう、そうアドリブ演奏みたいな店なんです。

デュエット(渋谷)

バーと喫茶店が同居しちゃった店、それがデュエットです。オンザロックなどを飲みながら、モダンを開(ママ)くのもグーですぞ……

温故知新、ただ今ココは、リバイバルブームです。パーカー、パウエル、ガレスピー諸氏のリクエストがたいへん多いです。昭和29年開店のこの店には、古い貴重なレコードがいっぱいありますから、このブームには不自由しません。味わって聞いてもらう精神から「コヒーの味は東京一」とおっしゃりました、コノセリフ前カイタケド、もう一度ユルサレテ。

連載3回目のこの最終号で打ち切りとなってしまったが、私は前の2号は持っていないので、前2回にどの店が取り上げられたのかはわからない。昨年、ディスクユニオンが全22冊揃いで25,000円という価格で販売したことがあるが手が出せなかった。そのうち確認したい。

(次ページへ続く)

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