第1回 初夏の北海道をゆく

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第1回 初夏の北海道をゆく

函館

北海道ジャズ喫茶巡礼/函館2014年6月11日(水)

  • 08:34札幌発 JR室蘭本線+函館本線北斗6号
  • 12:36函館着

今日から函館だ。雨が降っている。

北斗6号は平日にもかかわらず予想より混んでいたが、4時間の車中、ときおり海を眺めながらの旅は快適だった。

函館駅から歩いて3分、市電の通りに面したビジネスホテルにチェックインした。すぐ近くの大門商店街のラーメン屋で昼食をとり、市電で2駅の「新川」で降りて、函館の老舗「バップ」に向かう。

14:00 バップ

ジャズ喫茶マスターたちのエッセイをまとめた『おれたちのジャズ狂青春記』に収録されているバップのマスター、松浦善治さんのハチャメチャなジャズライフはとびきり面白い。

そのご当人から直接話をうかがえることをとても楽しみにしていたのだが、実際にお会いしてみると感嘆すべきエピソードがどんどん飛び出しきて、たいへん楽しいインタビューができた。

相手を射すくめるような松浦さんの鋭い眼光には始めはちょっとビビったが、往時に比べればずいぶん人当たりもソフトになられたに違いない。

松浦さんが撮った写真や集めたチラシ、ポスターなどをたくさん見せていただき、自分は直接体験することのなかった60年代のジャズシーンの雰囲気も教えていただいた。

フリージャズをはじめ、時代の最先端の音楽に魅せられ、つねに新しい体験、驚きを求めてやまないその旺盛な探究心には心底敬服した。いつまでもお元気でいてください。

◎バップの取材記事はこちら◎


17:00 リーフ

函館の旧繁華街、大門のアーケード商店街から1本脇に入ると、古ぼけたステレオスピーカー2台と椅子やテーブルを屋外に置いた店が見えてくる。

「店の前はにぎやかなほうがいいと思って」と笑う店主の水上さんは、バップの松浦さんとは違い、気さくで相手をリラックスさせてくれる。

外から見るとジャズ喫茶というよりもカジュアルなカフェのようで、これなら若い人たちも気軽に入ってこれそうだ。ただ、店内に入るとどーんとJBLのスピーカーやオリジナル真空管アンプが待っていた。

取材終了後、飲食店が集まった屋台村のような「大門横丁」で夕食をとることに。

あれこれ迷っているうちに、一軒のビストロふう居酒屋の看板が目についた。 どこかで見覚えがあるなと思ったら、10年近くまえに私が編集した雑誌の表紙が飾られていたのだ。名古屋のビストロのフランス人シェフを表紙にしたものだ が、店の人に話を聴くと、名古屋の店はたたんで、2年前からこの函館に来ているのだという。シェフは不在だった。

◎リーフの取材記事はこちら◎


2014年6月12日(木)

10:00 想苑

今日も朝から雨だった。

初夏の緑が鮮やかな函館公園を登っていく。山小屋ロッジふうの「想苑」の外観はジャズ喫茶の中でも珍しいもので、印象に残る建物のひとつ。

店内から見下ろす函館公園の景色が美しい。現オーナーは先代女主人の娘婿夫婦だが、先代が亡くなったいまも、この店のどこかに「おかあさん」と呼ばれた先代の「想い」が残っているような、そんな気がしてくる。

「おかあさん」はよほどこの店にとって大切な人だったのではないか、なんとなくそう思えてくるのだ。

先代についてのエピソードも交えながら、現マスターに「想苑」の歴史などについてうかがった。

◎想苑の取材記事はこちら◎


14:00 JBハウス

「想苑」を出て函館公園内に入り、緩やかな傾斜の道を下りきると一本の通りにぶつかる。

春は桜がいっぱいに咲くというその通り沿いにJ.B.ハウスがある。

二階建て住宅をリフォームした外見からすると「ふつうの喫茶店」のように見えるかもしれないが、店内に入るとジャズがハッキリとした存在感をともなって鳴っている。

マスターは京都のジャズ喫茶がもっとも賑やかだった時代に名店「しぁんくれーる」でアルバイトをしていたというだけに、ジャズを鳴らすことへのこだわりがそこにはちゃんとある。

研究を重ねて味わいを深めたというカレーもコーヒーも美味いし、ウィスキーの品揃えもオーセンティックなバー並みにマニアックだが、やっぱりここはジャズの店だ。

◎J.B.ハウスの取材記事はこちら◎


今日の取材はこれで終わり。

このあと函館から片道1時間の八雲という街にある「嵯峨」を訪ねてみるつもりだったが、昨日からの大雨でJR北海道のあちこちで不通になり、函館、八雲間も運行中止になる可能性が出てきた。八雲のあたりは線路が海のぎりぎり近くを通っており、悪天候のときは崩れたりすることがあるのだという。

八雲は「海炭市叙景」や「そこのみにて光輝く」で知られる小説家、佐藤泰志の出身地だ。

佐藤は村上春樹とおない歳で、芥川賞候補に3度なるが受賞できず、最後は自ら死を選んでしまう。

村上と同じくジャズファンでもあった彼が八雲にいた頃に通っていたジャズ喫茶が「嵯峨」だった。

ネットで調べてみると、「嵯峨」はいまもアルテックA7を据えてはいるが、ジャズの看板は降ろして、街の喫茶店としての生き方を選んでいるようだった。

今回、取材候補としてピックアップした苫小牧の某店も「嵯峨」と似たような例だった。

かつては駅前のジャズ喫茶として人気のあった店なのだが、店主に電話で取材を申し込むと「うちはもうジャズ喫茶ではないですから」と丁重に断われた。たしかに無理に「ジャズ喫茶」として紹介してしまうと、全国からやってくるジャズ喫茶巡礼者を失望させたり、怒りすら買ってしまうことがある。

「嵯峨」もたぶん似たような状況だろうと想像したのだが、実際にこの目で確かめてみて、ジャズ喫茶として紹介できそうだったら、その場で取材をお願いしようと考えていた。

しかし、天候が回復する見込みはなく、函館に戻ってこられなくなると日程がすべて狂ってしまうので、結局、おとなしくホテルに帰ることにした。

※八雲の「嵯峨」店主成田順一さんは2016年5月、お亡くなりになりました。享年81。謹んでご冥福をお祈りします。


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