さらばジャズ喫茶「モズ」のオババ②

さらばジャズ喫茶「モズ」のオババ②

ジェレミー・スタイグが死んだ。

公式サイトによると4月13日だったようだ。詳しい死因は語られていないが、夫人との平穏な日々を綴った残されたブログを読むと、どうやらなにかの病気のために死期をあらかじめ悟っていたらしい。

私が 初めて聴いたジェレミー・スタイグのアルバムは、彼のデビュー作『フルート・フィーバー』だった。「モズ/MOZZ」のオババがよくこれをかけた。

客の誰かが「ママ、立松和平さんが『モズ』のことを書いているよ」と言って、『カイエ』(冬樹社)の1979年1月号を差し出した。「特集・ジャズの死と再生」と表紙に書かれたその冊子をめくってみると、立松和平はこんなことを書いていた。

早稲田の学生の頃は、大学の近辺にある「モズ」という小さなジャズ喫茶にいりびたっていた。ボックスが三つほどと、カウンターに席が五つほどだが、満員のことはまずなかった。壁も天井も煤けたような黒塗りだった。本を読むには暗すぎ、一杯のコーヒーでぼんやりとねばっていた。当時ぼくはいれあげていた少女といつもいっしょにいた。話すこともなく気詰まりになるのを恐れて、ジャズの中にいたのかもしれない。

「モズ」でぼくは一人の奏者と出会った。ジェレミー・スティグというフルート吹きだ。彼のことはレコードのジャケットの解説文以上の知識はない。彼は自動車事故にあい、顔面がほとんど麻痺してしまった。フルートは無理だ。ジャズへの想いはたちがたく、彼はとうとう喉から直接息をとるマウスピースをつくった。

溜がないため、ひどく性急な演奏だ。苦しそうなあえぎのようなスキャットが混じった。吸う息までが音になり迫力があった。それが闇雲な情熱を感じさせた。

ぼく自身、あふれでる生命力をもてあましていた。時代がそうであり、街頭にでれば行き場のない熱気が渦巻いていた。まるで爆薬を小さな箱に詰めているかのように、ぼくは暗いボックス席に少女とすわりつづけていた。店の女の主人はぼくの顔を見るなりジェレミー・スティグをかけてくれた。三四枚別のリクエストをとってから、またかけてくれた。ジェレミーのアルバム「フルート・フィーバー」だ。フルートの熱。三十センチの黒い円盤に爆薬のようにぎっしり詰まった熱気だった。

これを私が読んだのは立松和平が『遠雷』で1980年の野間文芸新人賞を受賞し、その名前が売れ始めたころだったと思う。テレビ朝日「ニュースステーション」が1986年から始めたシリーズ、「こころと感動の旅」のキャスターに立松が抜擢されて全国的な人気を集めるよりも少し前のことだった。

モズのオババに立松和平を知っていたかと聞くと、「覚えているわよ。ワッペイさんね」と言った。

「店の女の主人はぼくの顔を見るなりジェレミー・スティグをかけてくれた。」と立松が書いてあるように、モズのオババは誰が何をリクエストしたかはいつもよく覚えていた。

ジェレミー・スタイグ『フルート・フィーバー』( 1963年)コロンムビアレコード/ジェレミー・スタイグ(fl)、デニー・ザイトリン(p) 、ベン・タッカー(b)、ベン・ライリー(ds)
ジェレミー・スタイグ『フルート・フィーバー』( 1963年)コロンムビアレコード/ジェレミー・スタイグ(fl)、デニー・ザイトリン(p)、ベン・タッカー(b)、ベン・ライリー(ds)

ジェレミー・スタイグの『フルート・フィーバー』が発表されたのは1963年だ。よくリクエストがかかったアルバムだったのでハッキリ覚えているが、「モズ」にあったのは国内盤のオリジナルで、ペラペラと薄い紙のジャケットの裏面に「フルート・フィーバー」という大きな日本語タイトルとその下に日本語ライナーノーツが印刷されていた。

立松はきっと「モズ」のボックス席に座り、そのジャケットを眺めながらスタイグのプロフィールを知ったにちがいない。

だが、「モズ」についての立松の記述には不正確なところがある。「ボックスが三つほどと、カウンターに席が五つほど」とあるが、カウンターはたしかに5〜6人座れたが、ボックスは4人掛けが4つ、2人掛けが2つあった。

「モズ」の間取りを説明すると、入り口からすぐ左脇にカウンターがあった。その後ろに並行するかたちでほぼ長方形のスペースがあり、向かって奥の右端の天井下にスピーカーが取り付けられていて、その下に4人掛けボックス席が2つ横に並べてあった。そのボックスとボックスの隙間に椅子を一つ入れて、壁側は5人掛けのベンチシートになっていた。そして中央に4人掛けボックスが2つ、左端に2人掛け席が2つ置かれていた。

入り口からすぐの右脇に小さなテーブルを挟んで席が2つあったのだが、そこはたいてい、カウンターでひと仕事を終えてヒマになったモズのオババか、常連の中でもごく限られた人間が座っていた。

少女とぼくとは「モズ」から学園のサークル室やバリケードにでかけていった。血管の中にはいつも「フルート・フィーバー」が駆けめぐっている気がしていた。

コンパで酒を飲んだ帰り、ぼくは少女を強引にホテルに誘って逃げられた。夜道を駆けながらタクシーにむかって手をあげた少女の後姿を覚えている。よくある馬鹿な話にはちがいないが、自分のことだけに思い出すたびキャッと叫びたくなる。それで終りだった。泡のようなものだった。

それからぼくは「モズ」に一人でいることになった。ジェレミーの新入荷のアルバムが入った。「ホワァッツ・ニュー」だ。新しいとは何だ、新しいなんてありゃしねえさ、とそのタイトルからジェレミーの意気ごみが伝わってくる気がした。バド・パウェルとの共演だ。聞いてみてがっかりした。フルートとスキャットが混然となった滅茶苦茶な熱気が影をひそめていた。こちら側に原因があるのかと思い、くりかえし聞いたが、やはり駄目だった。

ジャズに詳しい人ならすぐにわかると思うが、「バド・パウェルとの共演」はまちがいで、共演相手はビル・エヴァンスだ。また、「What’s New」というアルバム名を「新しいとは何だ」と直訳しているのもひどい。これは「元気?」「最近どう?」という、親しい相手への挨拶に使う慣用句だ。もちろん第一の責任は執筆者本人にあるが、もしかして編集者が原稿を読んではいなかったのではという気もしてくる。

ここまで引用してきたのは、「DANCING古事記」と題された一文からである。「DANCING古事記」とは、1971年に発売された山下洋輔トリオ名義の第1作となる自主制作盤だ。

(次のページへ続く)

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COMMENTS & TRACKBACKS

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  1. by 福山信一郎

    あら!知りませんでした〜。ジェレミー・スティッグさん亡くなったですか。日本に住んでいた様なネット上のサイトを読んだような記憶があるな。う~む!皆さん、落としですですもんね。ご冥福をお祈り申し上げます。

    • by ジャズ研ジャズ喫茶部さん

      福山さん、そうなんですよ。亡くなってから1カ月ぐらい公表されなかったですし、メディアでも報じられていないので、まだご存じない方も多いでしょうね。私が知ったのはあるフルート奏者からの情報でした。公式サイトでは日本での暮らしなどがブログや写真で見ることができますよ。

  2. by 福山信一郎

    実は、一時フルートをやっていたんです~。へへへ。
    最初は、ビル・エバンスとの有名盤ですね~。
    若干ですが、フルート物のレコードはついつい集めがちです。
    奥さんが、日本人だったような?お父さんの方のレコジャケ画の方が収集癖をくすぐかな~。ハイ

    • by ジャズ研ジャズ喫茶部さん

      福山さんはフルートをやってらしたんですか。
      私が初めて買ったジャズのLPは、古本屋で買ったフランク・ウェスのサヴォイ盤「オパス・イン・スイング」でした。高校1年ぐらいのころだと思います。すごくおっさんくさい選択だと思いますが、当時はフランク・ウェスも何もぜんぜんしらなくて、たしか800円ぐらいといちばん安かったからでした。
      ジェレミー・スタイグの奥様は日本人ですね。公式サイトにもいろいろと書かれています。たしかにジェレミーのお父様のジャケ画はいいものばかりですね。

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