青森・弘前 スガ / Suga

青森・弘前 スガ / Suga

弘前「スガ」ジャズ喫茶案内

ジャズ喫茶全盛期の面影をそのままに

「新譜を聴く人が少ないんだわ。店にはこんなに新譜のジャケットを飾ってあるのに注目する人がいない。とっかえ、ひっかえプレスティッジとかブルーノートばっかりじゃあさ、もう、うんざりだよ(笑)」

「こっちはリクエストしてもらったら、かけなきゃお金もらえないからかけるけど、それでいいのかよと。『カインド・オブ・ブルー』なんて2、3年聴かなくたっていいんだよ(笑)。ジャズ喫茶の看板掲げるなら新譜買わなきゃだめだよな、どの店のマスターも。やっぱりさ、新しいのを聴かないと話になんないわ」とマスターの菅原定夫さん。

新宿の「DIG」を筆頭に全盛期のジャズ喫茶はこぞって新譜の買い入れを競った。菅原さんにしてみると、ジャズ喫茶とは新譜を聴くための場所なのだ。

明治以前から津軽地方の中心的な都市として栄えてきた弘前のいちばんの繁華街は、弘前城からほど近い土手町あたりだが、この界隈には「鉄砲町」「親方町」「上鞘師町」「下鞘師町」「鍛冶町」など、かつての城下町の名残である地名が多い。そのなかのひとつ、「新鍛冶町」にあるのが菅原さんの経営するジャズ喫茶「スガ」だ。創業は1970年。

「ジャズ喫茶を始めたいきさつ? 語るほどのいきさつはないね。生まれは秋田の大館なんだけど、弘前に来たのはこの店を始める8年前の1962 年から。父親の仕事でここに来て、それがそのまま50 年居ついてしまったの。ジャズを聴くようになったのも弘前に来たころ」

「知り合いが、レコードを持ってオレの家に来たの。彼はひとつ歳上だったかな。オレの家には買ったばかりのレコードプレイヤーがあって、彼はさ、オレをびっくりさせるつもりでジャズのレコードを持ってきたんじゃないかと思うんだ。LPというのを手に取ってみるのは初めてだったね」

「それまでドーナツ盤を50、60枚は持っていたけど、映画音楽とかニール・セダカ、ビリー・ボーン楽団あたり。そんなところへ彼がマイルスの『カインド・オブ・ブルー』を持ってきたのよ。一発で衝撃を受けた。それは『カインド・オブ・ブルー』の最初の国内盤で、日本語で「トランペット・ブルー」というタイトルになっているやつね。でもマイルスよりも、そのとき知り合いが持ってきていたランディ・ウェストンのカフェ・ボヘミアのライブ盤のほうがずっと後まで気になったなあ」

マイルス・デイヴィスの『カインド・オブ・ブルー』のいちばん最初の国内盤は1960年に日本コロムビアからリリースされたもので、いちおうジャケットの表は「Kind Of Blue」と英語タイトルになってはいるものの、マイルスがトランペットを吹いている上半身の写真を大きくあしらった、オリジナルデザインとはまったく違うものだった。いわゆる「ペラジャケ」という、薄いペラペラとした紙で作れられたもので、裏には「トランペット・ブルー」と日本語タイトルが大きく入り、その下に日本語ライナーノーツが印刷されていた。

そのころ菅原さんは 「もう水商売を始めていた」という。最初はキャバレーで働き、つぎにバーで修行して店長のような仕事をまかせられるまでになった。その後、ふつうの喫茶店で働いたのち、ジャズ喫茶「スガ」を持つようになった。

「この店を始める前に、食器を買うために東京へ行ったよ。そのときに『DIG』とか『木馬』とか、ジャズ喫茶にはけっこう行ったね。この店の椅子とかはさ、ちょっと『DIG』の真似をしてるわけさ。やっぱりあのころは憧れだったね」

わざわざ什器類を東京で買い求めたように、「スガ」の店内の造りには随所にこだわりがある。なかでも菅原さんのご自慢は、つなぎ目のまったくない1枚のステンレス板でできた、およそ3間(約5.5メートル)はあろうかという長いカウンターだ。1枚板のカウンターは貴重だが、ステンレスというのも珍しい。

「この長いステンレスの板をどうやって店に搬入したと思う?」

「スガ」は雑居ビルの狭い階段を上がった2階にあって窓がない。どうやって入れたのだろう。

「巻いて入れたんだよ。薄いステレンスの板だからぐるぐると巻けるわけ。それを店に入れてから伸ばしてカウンターに据えつけたの」

このカウンターをはじめ、椅子、DJブースまで、1970年の創業時から店の造りにはほとんど手を加えていないという。

開店したばかりの1970年頃は、ESPレーベルに代表される「ニュー・ジャズ」と注目された前衛ジャズ色の濃い新譜をかける、かなり尖った雰囲気のジャズ喫茶だった。それが気に入ったのか、ギターケースを持ったひとりのアメリカ人青年がこの店にやってくる。

「たぶん彼は学生だったと思うんだよね、3日ぐらいここで寝泊まりしたんだ。はじめはユースホステルに泊まると言っていたけど、もうちょっと遊びたいって、なかなか帰らないわけ。で、ここに泊まりたいような目配せをするから、おめえ、寝袋持ってんの? って訊いたら持ってると。じゃあ、ここで寝ていいからと言って泊めたの」

「3日ぐらいこの店にいて 帰るとき、おい、ギター持ってるんだから弾いてみてよといって、ギターアンプを置いて弾かせたの。オーネット・コールマンに近い人と親しいみたいなことを言っていたな」

「それで彼のギターケースの中を見たらオーネット・コールマンの自筆の譜面が入っていたの。おめえ、3日もここに泊まったんだから、それを置いてけと言ったらさすがに渋ったけど、『よこせ』って無理やりとったようなもんだよ(笑)」

そのオーネット・コールマンの譜面は『サイエンス・フィクション』に収録されている「ホワット・リーズン・クッド・アイ・リヴ」だった。女性ヴォーカルの歌が入っている曲だ。

「スガ」のカウンター奥には、菅原さんとオーネット・コールマンが一緒に写っている写真が額に入れられて飾ってある。どうやら菅原さんが、アメリカ人青年が置いていった譜面をオーネットに見せているときの様子らしい。

弘前「スガ」ジャズ喫茶案内

「それは2006年にオーネットが来日したときの写真。彼は初来日の1967年に見ていたの。エド・ブラックウェルが急に来られなくなったときね。それから39年ぶりにオーネットの公演を札幌まで見に行ったんですよ。『オレ、知り合いだから、会わなきゃダメだから、挨拶をしなきゃ』って無理やり彼に会ったよ。ガードマンもクソもあったもんじゃないよ。そのときに譜面を見せたのさ。オーネットは『おおっ』って驚いていたよ。でも返せとは言わなかったな」

その後、この話はさらに奇妙な縁で結ばれたオチがつく。

「この譜面をもらった青年、いまはどうしているんだろうと思っていたら、最近になって知ったんだけど、カサンドラ・ウィルソンのアルバムのジャケットにプロデューサーの名前でクレジットされてるの。同姓同名。ウラは取れていないけど、たぶん店に来たのは彼だと思う」

菅原さんにその話を聞いたとき、これとよく似たエピソードが私の頭に浮かんだ。『ジャズ喫茶に花束を』(村井康司著/河出書房新社)の中に収録されている話だ。

東京・渋谷のジャズ喫茶『メアリー・ジェーン』の福島哲雄店主によると、カサンドラ・ウィルソンの『ニュー・ムーン・ドーター』で1998年のグラミー賞を受賞するなど、数々の名盤を作っている敏腕プロデューサー、クレイグ・ストリートが、開店間もない1970年代はじめのころの「メアリー・ジェーン」に現れたという。

当時17歳とかそんなもんでしょう。生活用品を入れた軍隊のカーキ色のズタ袋を持って、フラッと入ってきたんです。最初は単なる客ですよ。ほかの客がいなくてもずっといるから、なんとなく話をし出したのが最初です。一カ月ぐらい東京にいたと思いますけど、その間、うちを拠点にして動き回っていましたね。それで仲良くなったんです。クレイグがうちでバイトしていたと、稲岡(邦弥)さんの『ECMの真実』に書いてありましたけど、あれは間違い。まあ、朝一番で来たり、コーヒーの機械をいじったり、そういう手伝いくらいはしてたかなあ。でかい荷物は置きっぱなしだし、もう仲間みたいな感じでいましたからね。でもバイト代を払ったことはないから、アルバイトじゃないですね。

『ジャズ喫茶に花束を』(村井康司/河出書房新社)より抜粋

1981年、日本のトリオ・レコードがECM日本発売10周年記念のプロモーションのさいにフォトグラファー、ノーマン・シーフを起用して、キース・ジャレットの自宅を訪ねるなど、アメリカ中を旅してチック・コリア、ゲイリー・バートン、パット・メセニー・グループ、ゲイリー・ピーコック、スティーブ・キューン、ジョン・アバークロンビー、エグベルト・ジスモンチなどのECM契約ミュージシャンたちを撮影するという、いまや伝説となったフォトセッションを行なうが、このときのテクニカル・アシスタントとしてクレイグ・ストリートは制作ツアーに同行している。

『ECMの真実』(稲岡邦弥/河出書房新社)によると、クレイグはこの企画のアート・ディレクターだった大江旅人氏と「メアリー・ジェーン」で出会い、そのカメラの技術を買われたことがツアーに同行するきっかけだったという。

その人はたぶんクレイグ・ストリートに違いないですよと伝えると、菅原さんは、「ほんとに?」とまるで少年のように瞳を輝かせた。その白人青年が「スガ」を出たあとは、2人の間に交流はない。

後日、菅原さんと電話でやりとりをしたときに、クレイグ・ストリートが「スガ」に来たときに記念に撮った写真がみつかったと教えてくれた。やはり彼は「スガ」に来ていたのだ。

次の取材場所に向かわなければならないために菅原さんにお礼をいうと、

「えー、もう帰っちゃうの?」と菅原さんは名残を惜しんでくれた。

「昔から学生は来ないんだわ、私が変わりもんだからか…でも最近は若い人もポツポツと来るようになったかな」

「スガ」の古くて暗い階段を上るにはちょっと勇気がいるかもしれない。しかし、そこには60年代から70年代にかけて燃え上がったジャズの雰囲気がそのままそっくり保存されている。ただし、『カインド・オブ・ブルー』は、とりあえずリクエストしないほうがいいかもしれない。まずは菅原さんに「いまのおすすめ」を訊ねてみよう。

(了)

弘前「スガ」ジャズ喫茶案内

弘前「スガ」ジャズ喫茶案内

弘前「スガ」ジャズ喫茶案内

弘前「スガ」ジャズ喫茶案内

弘前「スガ」ジャズ喫茶案内

SUGA/スガ

  • 店主:菅原定夫/創業年:1970年
  • 住所:青森県弘前市新鍛冶町4-8
  • TEL:0172-34-0248
  • アクセス:弘南鉄道大鰐線「中央弘前」駅より徒歩4分(350m)、JR「弘前」駅より徒歩18分(1.4km)
  • HP:なし/SNS:なし
  • 営業時間:月〜土17:00〜24:00(休:日曜)
  • ライブ:なし
  • ディスク数:LP5,000枚 、CD3,000枚
  • メニュー:ビール、ウィスキー、コーヒーその他

<AUDIO>

  • ターンテーブル/デンオンDP80+SME3009×2台
  • アンプ/マッキントッシュMC7270、C34V、アキュフェーズC200、カウンターポイントC-100
  • スピーカー/JBL L101オリジナル

「ジャズ喫茶案内」運営管理人。1959年生まれ。高知県出身。ジャズ喫茶初体験は18歳。ジャズライブ初体験は1978 年、 ジャズ喫茶「アルテック」(高知)でのビル・エヴァンス・トリオ。東京での出版社勤務を経て2013年、名古屋移住。jazzcity代表。

AD & Recommendations

COMMENTS & TRACKBACKS

  • Comments ( 4 )
  • Trackbacks ( 0 )
  1. by 福山信一郎

    良い話でした。うん!

  2. by 鈴木直人

    ジャズ喫茶スガ、懐かしい写真です。約40年前学生時代に良く行きました。ここでジャズにハマって以来、私も東京のDIG、音楽館、GENIOUS等や各地のジャズ喫茶をジャズ批評で刊行された「ジャズ日本列島55年版」を見ながらサラリーマン時代に行きました。 懐かしく拝見しました。 昨年定年退職後、長野県飯島町で「蔵カフェ飯島茶寮」という真のジャズ喫茶にはなりきれなかったですが一応ジャズを鳴らしてライブもやっている店を営業しています。当店Facebookにシェアさせて頂きました。まさか、まだスガやってるんですね。マスター元気かな⁉︎ (⌒-⌒; )

    • by ジャズ研ジャズ喫茶部さん

      鈴木様
      コメントありがとうございます。私は鈴木様よりも年下ですが、「ジャズ日本列島55年版」は愛用しておりました。「スガ」のマスター、2カ月ほど前に電話でお話をしましたが、変わらずお元気そうでした。受話器からお店の音がバリバリと聴こえてきました。御店の情報ですが、当サイトの「ジャズ喫茶&ジャズバーリスト」に掲載させていただきました。ご迷惑でなければそのままでお願いいたします。今後ともよろしくお願い申し上げます。

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

A D