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「ジャズ喫茶は会話禁止」という都市伝説

「ジャズ喫茶は会話禁止」という都市伝説

スイングジャーナル1967年11月臨時増刊『モダン・ジャズ読本`68』には、全国のジャズ喫茶客1500人によるアンケートをまとめた「本誌特別世論調査 ジャズ喫茶通の生活と意見」という特集記事が掲載されているが、そのなかにジャズ喫茶に対しての不満点として「店内でのおしゃべりがうるさくて、じっくりジャズをきけない」という声が、「リクエストが混んで、長時間待たされる」という声に次いで二番目に多いとしている。

1967年といえばモダンジャズ喫茶の全盛期だが、この時代においても「店内がうるさい」ということがけっして珍しいことではなかったことがうかがえる。「会話厳禁」のルールに縛られて店内がシーンと静まりかえっていたわけではないということなのだろう。

また、「おしゃべりがうるさい」と不満に感じる客が多かったということは、逆にいえば、店内での会話について厳しい視線を向ける客が多かったということも意味しているだろう。

上記のアンケートでは「おしゃべりがうるさい」という意見の具体的な回答数は示されていないが、全国のジャズ喫茶のデータなどを網羅的に紹介して、ジャズ喫茶ファンのバイブル的な雑誌であるジャズ批評社の『ジャズ日本列島』では、もっとも掲載店舗数が多かった「昭和55年(1980年)版」 に面白いデータが残っている。

これまでに年度違いで計7回刊行されている同シリーズだが、この号だけには会話禁止か否かをアンケートした結果が各店掲載欄に記されているのだ。アンケート項目は以下だった。

ア)客席でのお話は禁止ですか

イ)話は自由ですか

ウ)聞く場所と話す場所が分れていますか(例えば椅子席とカウンターとか)

ア)には耳、イ)には唇、ウ)には耳と唇の3種類のアイコンが用意され、それぞれの店のデータ欄に、アンケート回答として付けられている。その結果を地方ごとに見ていこう。

 

  • 北海道 会話禁止 1軒/会話自由 21軒/聞く場所と話す場所が別 0軒/無回答 3軒
  • 東北  会話禁止 4軒/会話自由 35軒/聞く場所と話す場所が別 3軒/無回答 3軒
  • 関東(東京除く)会話禁止 3軒/会話自由 20軒/聞く場所と話す場所が別 0軒/無回答 3軒
  • 東京  会話禁止 16軒/会話自由 69軒/聞く場所と話す場所が別 3軒/無回答 8軒
  • 東海・中部 会話禁止 0軒/会話自由 42軒/聞く場所と話す場所が別 2軒/無回答 4軒
  • 近畿 会話禁止 6軒/会話自由 53軒/聞く場所と話す場所が別 4軒/無回答 1軒
  • 中国・四国 会話禁止3軒/会話自由 27軒/聞く場所と話す場所が別 1軒/無回答 1軒
  • 九州・沖縄 会話禁止0軒/会話自由 27軒/聞く場所と話す場所が別 0軒/無回答 3 軒

全国の合計  会話禁止33 軒/会話自由294軒/聞く場所と話す場所が別12軒/無回答37軒

これを見ると、無回答を除くと全国のジャズ喫茶339軒中、「会話禁止」をルールとして挙げていた店は33軒、全体の約1割に過ぎなかったことがわかる。

ただし、これは無回答のなかには、札幌「ジャマイカ」、東京「いーぐる」「イントロ」など当時は硬派で知られた店も含まれている。また、この号にはジャズ喫茶だけではなく、ライブハウスやジャズクラブ、ジャズバーなども含めて計770店の名前がリストアップされており、アンケート記事として掲載されたのは、全体のちょうど半分にすぎない(おそらく広告掲載料の問題があったのではないかと推測)。

とはいえ、有名店などはほぼすべてこのアンケート記事の中に出ており、掲載されていない残りの店の大半が「会話禁止」の店である可能性はかなり低いだろう。

1980年当時「会話禁止」を掲げるジャズ喫茶は全体の約1割にすぎなかったという仮説は十分に成立すると思う。

では、なぜ「ジャズ喫茶は会話禁止」という説が世間に広く流れてしまったのか。その理由のひとつは、東京における会話禁止店の多さではないだろうか。

具体的に列挙すると次の店が「会話禁止」としている。

「DIG」「響」「イトウ」「ジニアス」「アルフィー」「メアリー・ジェーン」「ブレイキー」「ナル」「シャルマン」「ビアズレー」「珈琲園」「アウトバック」「A&F」

いずれも全国的に有名な店ばかりがズラリと並んだ。

学生時代にこれらの店に通ったのちに地方に帰っていった人はかなりの数に上るだろう。おそらくこういう影響力のたいへん大きかった店が「会話禁止」としていたことから、「ジャズ喫茶は会話禁止」というイメージが強まったのではないだろうか。(ちなみに北海道で唯一の会話禁止店は札幌の『act:』。マスターの坂井幹生氏は60年代の新宿「DIG 」のスタッフだった)

1961年の「DIG」の開店以降、ジャズ喫茶全盛時代にかげりが見え始める70年代初頭ごろまでは「会話禁止」の店は、ジャズ喫茶の歴史の中ではもっとも多かったかもしれない。

また、開店当初は会話可能だった「DIG」で、会話をめぐっての喧嘩がたえなかったことや、先の『モダン・ジャズ読本’68』のアンケートで「店内がうるさい」と不満のジャズ喫茶客が多かったことなどから、コアなジャズ喫茶客が、まだあまり慣れていない客に「ジャズ喫茶は会話禁止だ!」と叱るケースが多発し、そこから「ジャズ喫茶は会話厳禁」というイメージが形作られていったのかもしれない。

ただ、考えてみてほしい。「会話禁止」を客に強要する喫茶店の経営がはたして持続可能かどうか。

新宿や渋谷のような一見客や通りすがりの客も多い盛り場の店舗なら、ドライでクールな営業方針でも成立するかもしれない。

だが、店主も客も幼いころから顔見知りだったり、学校の先輩、後輩、同窓だったりという緊密な人間関係が中心の地方や住宅圏の店の場合、そうした接客ができるかどうか。1980年の時期において、地方のジャズ喫茶のほとんどが「会話自由」となっているのはそうした理由によるところが大きいのではないか。

いずれにしても「ジャズ喫茶は会話禁止」だったのは、もう40年も50年も昔の話である。

そろそろこんな都市伝説から卒業させていただけないだろうか。

「会話禁止」と聞いて、

「それなら静かにジャズが聴ける、ありがたい」と歓迎するのは、ジャズ喫茶に慣れたベテラン客だけである。

ジャズ喫茶に行ったことのない人の場合は

「不便」「怖そう」「高圧的」と敬遠することがはるかに多い。

いちばん誤解されているのは、専制君主のようなマスターが客に黙れと叱りつけているイメージだ。

なぜマスターが客に沈黙を要求するのか。

なかには「静かに俺のレコードを聴け」というご仁もいるかもしれない。しかし、いちばんの理由は、騒がれるとせっかくジャズを聴きにきている他の客に迷惑がかかるからだ。マスターは客の苦情の代弁をしているにすぎない。

漫画喫茶と似ているといえばわかりやすいかもしれない。ひとりで静かに漫画を読んでいる客の多いあの空間に、数人でおしかけてガヤガヤ騒いだらウトまれるのと同じである。誰かと会話をすることを目的に漫画喫茶に入る人はめったにいないだろう。

私自身、隣に騒がしい客がいればたいへん迷惑だし、アイスピックでその脳天をカチ割りたくなる衝動を抑えこむのには努力がいる。その気持ちをいちばんわかってくれているのがジャズ喫茶のマスターなのだ。ジャズ喫茶では騒がしいのは御法度というのは今も変わらない。

ジャズ喫茶も客商売だ。自分の客が困っているのを黙って見過ごす店主がどこにいる。

長くなってしまったが、ウィキペディアの「ジャズ喫茶」にはまだまだ間違いがある。

そのうち「ジャズ喫茶でステレオレコードを聴くときは、まずは左の耳から聴いて次に右の耳、そして最後に両耳で聴くのがマナー」などと書き込む人が出てくるのではと不安で仕方がない。

冗談はともかく、「閉店」リストに現役バリバリの高田馬場「イントロ」が書き込まれているのはマズすぎる。誰かの怨みでも買ってしまったのだろうか。

最後に、ウィキペディア冒頭の「概論」にジャズ喫茶は「戦争により一時消滅、1950年代に再開し」とあるが、「1950 年代に再開」というのは正確ではない。先に挙げたスイングジャーナル1961年11月号のジャズ喫茶マスター鼎談から一部を抜粋しておこう。

久保田 戦後は何時から。

永井 昭和20年8月20日からやりました。

久保田 えっ。8月15日に戦争が終わったんですが、それが8月20 日にもうジャズ喫茶の店開きですか。これは早い。(笑)

吉田 その頃よくまた店が開けたもんですね。

永井 その私のいた田舎から牛車に木材をつみましてね。田舎の大工さんつれて来てバタバタっと三日間位で店つくっちゃった。(笑) その店のテーブルは実は工場の作業台でしたがね。(笑)

吉田 なるほどね(笑)

あの戦後の5日目に、ジャズ喫茶はもう復活していたのである。

(了)

text by 楠瀬克昌

【写真:いまや全国でも稀少な会話禁止(ただし夕方18時まで)のジャズ喫茶、東京の『いーぐる』】

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