さらばジャズ喫茶「モズ」のオババ③

さらばジャズ喫茶「モズ」のオババ③

店がジャズ研の〝部室〟に。マネージャーと称していたタモリ

早稲田大学の公認サークルとして発足したジャズ研の中で、もっとも古いのが早稲田大学ハイ・ソサエティ・オーケストラ(通称ハイソ)で設立は1955年。それに続く早稲田ニューオルリンズジャズクラブ(通称ニューオリ)の発足が1957年だった。

モダンジャズ研究会(通称ダンモ)は1950年代後半から同好サークルとして活動をしていたようだが、大学公認となったのは、ピアニストの桝山了などが中心となった1960年からだった。ちなみに桝山はのちにジャズバンド「大橋巨泉とサラブレッズ」に加入して、テレビ番組「11PM」にも出演するようになる。

『ジャズ日本列島』(ジャズ批評社)の1986年版には、モズの創業年月日が1955年6月30日と明記されているが、これはたぶん研究熱心な性格の軒口が調べ上げた情報にもとづくものではないかと推測する。

創業当時から60年代末まで、早稲田大学近辺には「モズ」以外にジャズ喫茶はなかったようなので、ジャズ研に所属していたり、大橋巨泉のようなマニアックなジャズファンの学生たちの多くは「モズ」に来ていたと思われる。

こうした雰囲気の中で、1965年に入学して以来、「モズ」の世話をあれこれと焼いたのが、軒口だった。このころはすでに2代目の女性主人に経営が変わっていたが、この人もジャズは素人だったそうなので、軒口の存在抜きではジャズファン相手の商売はできなかっただろう。

「モズ」のレコードコレクションは、ジャズ批評社の『ジャズ日本列島』によると、1975年版では724 枚、翌1976年版では800枚前後、1986年版では2,000枚となっている。

1976年から1986年の10年間に飛躍的に増えているのは、この間にトリオレコードやDIWなど、レーベル社員のOBたちから毎月かなりの数の新譜見本盤が寄贈されていたことに大きな要因があるだろう。

また70年代末ごろから、レコードはかつてほどには高価なものではなくなり、部員やOBが、いらなくなったものや店で自分が聴きたかったもの、また「モズ」のリストに加えるべきと考えたレコードを店に置いていくケースがそれまで以上に増えたこととも関連があるだろう。

70年代末ごろの、700〜800枚前後だった「モズ」のレコードコレクションは、少数精鋭で必要最小限のものしかない、実にコンパクトによくまとまったものだった。

戦前のトラディショナルなものから主流派、新主流派、フリージャズやフュージョンにいたるまで、あまり偏りのない、バランスのとれたものだった。

ベテランのジャズ喫茶マスターになると、店で本当に必要なレコードというのは数百枚程度でいいという話をよくするものだが、「モズ」のレコードはそういうものだった。それは長年、この店に出入りしていた学生やOBたちによって練り上げられていったコレクションだった。

おはるさんによるとママが「モズ」を手に入れたのは軒口が大学3年だったときだったというので、1967年ということになる。この当時、店ではモダンジャズ研究会の例会が行なわれ、部員もずいぶん出入りしていたようだ。

「その頃は、タモリ、増尾ちゃんがよく来ていた。チンさん(鈴木良雄)はあんまり来なかったわね」

「タモリは『ジャズ研のマネージャーをやってるもんですから見回りに来ました』って言っては、お金がないからってタダで珈琲を飲んでたわね(筆者注:タダではなくツケだった可能性もあり)。しょっちゅう〝見回り〟に珈琲を飲みに店に来ては出ていって、それでまた店に帰ってきたり」(おはるさん)

1965年に早稲田大学に入学したタモリは、翌66年には学費未納で除籍処分になる。ただ〝中退〟後もそのままモダンジャズ研究会にマネージャーとして出入りしていたというから、ちょうどママが3代目になったばかりのころだ。

私も、ママからタモリとの話は何度か聞いた。2人は波長が合ったようで、お金がなかったタモリがよく店に来ていたということも聞いた。また、ママが夜遅く独りで帰るときは、タモリがガードマンと称してママの自宅近くまで送り届けてくれることもあったようだ。

モダンジャズ研究会のたまり場となったことで、「モズ」には独特のルールが生まれた。部員なら珈琲1杯でなんどでも店に自由に出入りできたのである。

たとえば、昼過ぎに店にやってきて珈琲を一杯飲んで、それから荷物を置いてノートとペンだけを持って「授業に行ってきます」と出かけて、授業から帰ってくるとコップの水一杯だけで閉店までいることができた。

授業だけでなく、「モズ」で4人揃うと隣の雀荘に行って遊んでからまた帰ってくる者たちや、アルバイトに出かけて、終わると「ただいまー」と戻ってくる者、夕食に出かけて家には帰らずまた戻ってくる者もいた。

ワン・オーダーさえすれば、開店から閉店まで出入り自由、このルールは一般の学生や大人には適用されなかったがジャズ研(ダンモや現代ジャズ愛好会)に所属している者にはそれが許された。

いつからそうなったのかはわからないが、おそらく軒口やタモリの頃にこういう習慣が生まれたのではないかと思う。

おはるさんが振り返る。

「ダンモのイトウくんだっけ? みんなにカボチャ、カボチャって呼ばれてた人。政経学部だったかしら。彼にはしょっちゅう替わりに授業に行かされたわ。大教室で、回ってくるメモ用紙のような小さな出席票に名前と学籍番号を書いて提出したら出席扱いになるわけ。自分はずっと『モズ』にいて、『おはるさん、行ってきてよ』とかいって私を使うわけ」

明るくて気のいいおはるさんは、ママや周囲の人からよく「使われていた」ようだ。

おはるさんは、早稲田の「モズ」やゴールデン街の「百舌鳥」の手が足りないときは、ひんぱんに助っ人として駆り出された。新宿5丁目にモダンジャズ研究会OBが開き、タモリが「取締役宣伝部長」を買って出ていることで知られるジャズクラブ「JAZZ SPOT J」があるが、「モズ」のママの指令でこの店の手伝いをさせられたこともあったという。

ところで、ママのことを「ごうつくババア」と呼ぶ人もたまにいたが、たしかに水商売をやっている人間特有の金銭に対する執着や細かなところもあったが、こと学生に対してはほんとうに寛容だった。

おそらく若いころから政財界の羽振りのいい友人や客たちを相手にしてきたママにとって、「モズ」に出入りするペーペーの学生たちの懐具合などは、ハナから期待していなかったのだろう。

ただ、なかには不心得な者もいて、水だけ飲んで珈琲も何も頼まずに帰ろうとするときだけは、「ちょっとアンタ、オーダーをまだ何もしてないわよ」とハッキリと注意して注文を取り立てた。

ここで思い出したのだが、「モズ」の扉をあけるとすぐ左手にカウンターがあって、このカウンターで何もオーダーしないまま立ち話をしばらくしてからそのまま帰るという学生もたくさんいた。店の席に座ってしまうと何かを頼まないと帰れなかったが、カウンターでの立ち話だけならママは見逃してくれた。

タモリも「見回りにきました」と言って立ち話をしては帰っていったという話をママがしてくれたことがあった。タモリに限らず、誰が来ているかを確認するためだけに店にやってくる学生はたくさんいた。

学生たちに対しての寛容さというのは店でかける音源に対してもあって、なかにはジミ・ヘンドリックスのようなロックを持ち込んでかける者もいたが、たいていママは何も注意しなかった。

私もレゲエやファンク、R&B、ブルース、アフリカンポップスと、いろいろなものをかけさせていただいたが、ママは何も怒らなかったし、ときには「コレ、いいわね」ということもあった。

ジャズについてはまったく知識もなかったママだが、長年店で聴いているうちに自然に彼女ならではの批評眼が培われていったようだった。出発点がジャズファンではなかっただけに、かえっていろんなジャンルのものにこだわりなく関心を示した。

ただ、ママにはママなりのモノサシがあったようで、それにかなわない音源をかける者に対しては、「ちょっとアンタ、いいかげんにしなさいよ。ここはジャズの店なんだから」と厳しく注意した。

いずれにしても「モズ」は学生街という立地ならではという営業形態の店だった。

「姉は『モズ』をやる前から新宿あたりのジャズバーにはときどきでかけていて、そのうち自分もやってみたいと思うようになったんでしょうね。ノンちゃんが授業に出ているときはジャズ研のほかの学生がカウンターの中に入ってやってくれたし」

「姉はジャズをなんにも知らなかったけど、店に来る客がジャズに詳しかったもんだから、そういう人たちがぜんぶ姉の手足になってやってくれたのよね」(おはるさん)

ジャズ研部員が店番やレコード係をはじめ、珈琲や軽食を客に出したりといった仕事を手伝うのは、長年の「モズの伝統」だった。私もずいぶん、店を手伝った。私と同い歳でいまは渋谷の「メアリージェーン」の店主をやっている松尾史朗も、1年ぐらい、ほぼ専従というかたちで店を手伝っていた。

おそらく、初代の老夫婦や2代目の女店主のころはここまでユルくはなく、喫茶店として通常の営業形態だったのだろう。「モズ」がジャズ研の部室のようになっていったのはママの代からではないだろうか。
(次ページへ続く)

「ジャズ喫茶案内」運営管理人。1959年生まれ。高知県出身。ジャズ喫茶初体験は18歳。ジャズライブ初体験は1978 年、 ジャズ喫茶「アルテック」(高知)でのビル・エヴァンス・トリオ。東京での出版社勤務を経て2013年、名古屋移住。jazzcity代表。

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