『ジャズ喫茶論』の読み方、読まれ方

『ジャズ喫茶論』の読み方、読まれ方

 

ジャズ喫茶は禁欲的という誤解

京都のジャズバーで繰り広げられたパワーハラスメント的な光景を取り上げた後、著者は「ジャズ喫茶と学校」について論じはじめる。

その際に引き合いに出されるのが、日本文化研究者のエクハート・デルシュミットが1998年に発表した1950-1980年代のジャズ喫茶の変貌についてまとめた論文だ。

これは『戦後日本のジャズ文化』でも紹介されていた論文で、モラスキーによると、ここでデルシュミットは、50年代のジャズ喫茶は<学校>であり、60年代は<寺>だったという論を展開している。

デルシュミットによると50 年代のジャズ喫茶マスターは客にとっては「教師」であり、ジャズ喫茶はジャズを勉強する「学校」として機能していたという。そして60年代になると「アルコール類の飲み物を出さない禁欲的趣向と店内の規則減収を徹底する「マスター」をありがたく推し戴く、<お寺>やカルトなみの宗教的空間のジャズ喫茶が増える。」としている。

ただ、よく誤解をされやすいのだが、デルシュミットがジャズ喫茶を<学校>であるとしたのは1950年代の期間であり、その後ジャズ喫茶は、60年代は<寺>、70年代は<スーパーマーケット>、80年代は<博物館>と、10年刻みでその機能が変化しているとしている。

つまりジャズ喫茶が抑圧的であったり禁欲的だったのは50〜60年代のことであり、それ以降はそのあり方が変質しているとしているのだ。

これに対してモラスキーは、「十年ごとにきれいに入れ替わるという主張には問題があると思う」としながらも「戦後四十年間の大まかな流れをよくまとめていると思う」とデルシュミットの分析を肯定的に評価している。

その上で、「一種の硬派な店」では、<学校>と<寺>という二つの役割が融合していたと見る方がより実態に近かったとし、次のようにデルシュミットの「ジャズ喫茶=寺、学校」説を強化している。

例の京都のマスターの発言に反映されているように、ジャズ喫茶店主の大事な役割のひとつは、顧客に「ジャズの真髄を教える」ことだと考えたら、60年代であろうと70年代であろうと、ジャズ喫茶はあくまでも<教育の場>として機能し続けていったことになるのだろう。ただ、その<教育の場>は普通の<学校>というよりも、禅寺並みの厳格なる環境で、厳しい師匠の許で<ジャズ道>を追求するという特殊な教育の場である、ということになる。

換言すれば、そのような硬派ジャズ喫茶は、「近代的な音源技術を中心とする前近代的な<教育の場>である」ということができよう。そして、そのような教育の場を可能にしていたのは、客たちが十代後半から二十代前半で、若かったということである。その点、近年のジャズ喫茶とはぜんぜん違うだろう。

この引用の中で、「硬派ジャズ喫茶」「ジャズ喫茶」というところを赤く塗ってみた。読者によっては、このモラスキーの一文から「昔のジャズ喫茶は、ジャズを学ぶ学校だったのだ」と受けとめる人も少なくないだろう。

しかし、赤く塗った部分の前後を注意してみると、「学校や寺としてのジャズ喫茶」が当てはまるのは、当時のジャズ喫茶全体の一部の、「硬派なジャズ喫茶」に限って言及したものだということがわかる。

このあたりは、大変誤読を招きやすい。「硬派ジャズ喫茶論」という章立てにでもしていてくれたなら、誤読も少なくなると思うのだが。

また、これが硬派ジャズ喫茶論だとしても、「その<教育の場>は普通の<学校>というよりも、禅寺並みの厳格なる環境で、厳しい師匠の許で<ジャズ道>を追求するという特殊な教育の場である」とする見解には、私は異論を唱えたい。だが、この点についてはまた後で述べよう。

モラスキーは、かつての硬派なジャズ喫茶は<学校>や<寺>といった機能が、「表裏一体の、もっと複雑に絡み合っているものとして見なすべきだ」としたうえで、そこからさらに考えを広げていくべき問題があるとする。

しかし、ジャズ喫茶の機能を考えるとき、さらに視野に入れなければならないのは、顧客と店主の主観とその関係性だと思うーー簡単に言えば、いったい誰から見て<学校>や<寺>なのか、という問題である。同じジャズ喫茶に対し、店主たちと客たちとの間に認識の落差が当然ありうるし、客一人一人によってもジャズ喫茶に入る目的や意味が違うということも考えられるから、同時期におけるジャズ喫茶の多面性も見落とせないとように思う。まず、客の目から考えてみよう。

ここでモラスキーは、60-70年代前半のジャズ喫茶の客は音楽を楽しむために通っていたのが大多数であり、「まったく根拠のない数字ではあるが」と断ったうえでそれが70-80%だったと推定し、当時のジャズ喫茶の客を次のように分類、分析する。

  • ジャズ音楽を単に楽しむための場。
  • ジャズ的生き方(ジャズ哲学なるものを)学ぶ場。
  • オーディオを楽しむための場。
  • ジャズ音楽を勉強および鑑賞するための場、あるいはジャズが鑑賞できるようにその能力を育成する場。
  • ミュージシャンとして上達するための意味での<ジャズ学校>。
  • インテリや文化人に憧れる若者にとって<文化資本>を蓄積する場。つまり、ジャズ喫茶に通うことによってステータスが上がることが期待できる場。
  • 違う表現(執筆や演劇など)のための刺激を与えてくれる場、<文化の拠点>としての場。
  • 狭い部屋に住む学生にとって、気分転換や暇つぶしの場(コーヒー一杯の注文で長時間座っていられる魅力)
  • フーテン、つまり不良少年・少女のたまり場、時間つぶしの場。
  • ファッションとしての場(「ジャズ喫茶に行くのが格好いい」)。
  • 地方のジャズ喫茶では<都会の匂い>を嗅がせてくれる場。

著者のこの分析はかなり的を射たものだと思う。

私自身の体験と照らし合わせても(私の場合はジャズ喫茶通いを始めたのは1977年頃からだが)、やはりジャズ喫茶にやってくる客はこんな感じだったように思う。さらに言えば、(1)と(2)の両方を兼ねた者とか、上記の傾向を複数備えた客がむしろ多かったのではないかと思う。

そして著者は、客だけではなく、店主にもいろいろタイプが分かれていて「実は大雑把すぎる感がある」としながら、「内向型」「外向型」「水商売型」の3つに分類して、それぞれの特徴を説明する。

60-70年代のモダンジャズ喫茶に多く見られるのが「内向型」と「外向型」で、モダンジャズ喫茶が主流を占める以前の50年代半ばによく見かけられたのが「水商売型」。この中でもジャズ喫茶店主に最も多いと思われるとする「内向型」について、著者は次のように説明する。

外部との接触を避けたがり、店内においても常連客以外には口をあまり利きたがらない。だから威張っていると思われがちが、必ずしもそうではない。実は内気であるゆえに、硬派のジャズ喫茶という無口な密閉された空間が性分に合い、ジャズも好きだということで、「ジャズ喫茶オヤジ」の道を自然に選んだという店主もいる。この内向型ジャズ喫茶店主は、言ってみれば今でいう<オタク>に当てはまると思う。

確かにジャズ喫茶の中でも特に古くから営業しているマスターはこういうタイプが多いと私も思う。

店を開業したいきさつを伺ってみると、大学を卒業して就職したものの会社勤めが肌に合わなかったとか、そもそも会社勤めをする気がなかった、できなかったという人が実に多いようだ。

こういうマスターの店に入ると、大抵、マスターは一言もしゃべらずにいる。まるで客であるこちらを無視しているのではないかと思わせることや、もしかして客が店に入ってきたことで不機嫌になっているのかと心配させられることが少なくない。

それで実際に話しかけてみると、それまでの仏頂面とはうって変わって、優しい笑みを浮かべながら楽しそうに話をしてくれるのだ。

ジャズ喫茶のマスターは愛想が悪いとか、怖そうという人は少なくないが、実際にはそういうマスターには人見知りの傾向があるケースが実に多い。ジャズ喫茶のマスターの大半は、この<内向型>があてはまるのではないかというのは、著者と同じく私の実感でもある。

また<外向型>は文字通り、周囲とはあまり壁を作らず、接客も苦にすることなく、店の内外でオープンに人間関係を築くことのできるタイプ。

そして<水商売型>。これはモダンジャズ喫茶ブームに便乗して、儲かりそうだからと開業したタイプのマスターだ。

ジャズ喫茶をやる前にも飲食店で下働きや経営をやっていたという人や、異業種から参入したケースも少なくない。

モラスキーは、この<水商売型>の店主と、<内向型><外向型>店主との間に線引きをしているようだが、私は、ジャズ喫茶店主というのは、昔から今に至るまで、潜在的に<水商売型>の素養を備えた人が多いように感じる。

モラスキーは、「硬派なジャズ喫茶で内向型のマスターは、芯からのジャズ好きで、金儲けに目もくれず、店の売り上げをすべて新盤のレコードやオーディオなどにつぎ込む、「クセモノでマニアック(またはオタク)ではあるかもしれないが、金儲けに左右されない、という意味ではどことなく潔いようにも映る」としているが、これはいささかロマンチックなジャズ喫茶マスター観ではないかと思う。

近年開業するマスターの場合は、定年後の退職金や年金支給があるケースや、自宅を改装したり、自己所有の物件で店を始めたので家賃がかからず、経済的に余裕があることも多く、こういう場合は、確かに金儲けは度外視というマスターも少なくないだろう。

しかし、昔のジャズ喫茶マスターは、開業当初はまだ20代から30代半ばで、店の収益に妻子の人生がかかっていることが多い。

もちろん、ほとんどのマスターはジャズ好きがもとで店を始めたことには間違いないだろうが、その一方でそろばん勘定もそれなりに常に頭に入れていないと店を続けていくことはできなかった。

また、事業欲そのものが強いタイプもいる。

その代表的な例が、吉祥寺「ファンキー」のオーナー、野口伊織だろう。

彼の父は、日本で最初のジャズ喫茶「ブラックバード」を開店した野口清二だが、「ファンキー」を父から継いでからは、「アウトバック」「西洋乞食」「赤毛とソバカス」「サムタイム」そしてロック喫茶「be-bop」など、70年代から80年代にかけて20店を超える飲食店をオープンさせた。

そしてこの野口にジャズ喫茶経営で大きな影響を受けたのが「メグ」の寺島靖国だ。

「メグ」は60年代末に開店した当初は「ジャズ道場」を謳っていたこともあり、硬派なイメージを寺島に持たれているかもしれないが、彼も「モア」「スクラッチ」「ジョンヘンリーの書斎」など、野口伊織と競いあうように吉祥寺にジャズの店を次々とオープンさせた。彼も潜在的な<水商売型>と呼べるだろう。

もちろん、大半のマスターは、野口や寺島ほどの経営の才や器用さは持ち合わせてなかったのだが、しかし実際には、60-70年代のジャズ喫茶店主の行動原理は、客が想像する以上に経営上の課題に左右されていることが多いのだ。

まず、当時のジャズ喫茶の最大の経営課題はレコード収集だった。他店に先んじて新譜を入荷し、より多くリクエストの応えるためにリストを充実させることに多額の投資をした。

60年代から70年代にかけては、ファンキーブームに始まり、次は新主流派、次はニュージャズ、次はクロスオーバー、次はロフトジャズといったように、次々と現れる新しい流行の波にレコード・コレクションを対応させていかなければならなかった。もちろんこれは趣味のレコード収集とは違う。

オーディオについても、60年代半ば過ぎから大衆も巻き込んだ、かつてないオーディオブームが国内に起こり、自店のシステムもそれに合わせてグレードアップするための設備投資が必要となった。

60-70年代はジャズ喫茶全盛期だが、それは店舗間での競争が最も激しかった時代であったことも意味する。他店に競り勝つためにはよりレコードを揃え、設備投資を行い、ジャズ専門誌に多額の広告費を払わなければならなかった。これは硬派のジャズ喫茶も同じだ。

もし、モラスキーが書くように当時のジャズ喫茶マスターが、ある種のマインドコントールを効かせて「師弟関係」を客と結び、客を囲い込むことができていれば、そこまで他店としのぎを削る必要はなかったはずである。

ただ、こうした状況はアメリカのアフリカン・アメリカンが通うプロテスタント系教会に似ているかもしれない。アメリカの都市部のアフリカン・アメリカンが多く居住する地域に行くと、まるで日本のコンビニエンスストアのように、1ブロックごとにあると言っていいほどたくさんの教会がある。

これだけたくさんあると、教会間での信者獲得競争は激しく、牧師の説教やクワイアも含めたゴスペルバンドの優劣で信者の人気が決まる。

60-70年代のジャズ喫茶は、「学校」というよりも「教会」に似ているかもしれない。「牧師の説教」は「マスターによるDJ」であり、「ゴスペルバンド」は「オーディオ」だ。そしてレコードが「神」。もちろんアメリカのプロテスタント系教会での牧師と信者の間には、東洋の儒教的な師弟関係はない。

いずれにしてもモラスキーによるこの「内向型」「外向型」「水商売型」という店主3分類は、著者自身が「実は大雑把すぎる感があり」と認め、「あくまでも一枚岩的な店主像を膨らませたい、ということを改めて確認する」ためのものだ。

この章の冒頭では京都のジャズバーのマスターをステレオタイプなジャズ喫茶店主像として提出してはいるが、実際にはジャズ喫茶店主像には多面性があるということを最後に確認してみたということだろうか。

そして「次章以降はもっと詳細にその多様性を掘り下げて行きたい。そのためには基地の町に出かけなくてはならない。」としてこの章を締めくくっている。

続く第4章の「地の町から響くジャズ」では、北海道から沖縄まで百数十軒のジャズ喫茶を訪問し、店主たちにインタビューしたフィールドワークの報告が中心になっている。

日本全国のさまざまな店との出会い、ジャズ喫茶店主たちの数奇なエピソードを織り交ぜながら、日本におけるジャズ受容の歴史やジャズ喫茶の変遷にも触れている。

この第4章はジャズ喫茶ファンにとっても興味深く、楽しく読める構成になっていて、本書の中では最も魅力的なものになっている。

そして最終章では「新たたなジャズ喫茶史へ」として、今も営業を続けている「老舗」、定年脱サラ店主がはじめた往年のジャズ喫茶への回顧的色合いの強い「伝統型新店」、そして従来のジャズ喫茶のカテゴリーには収まりづらい形態の「新型新店」の3つを現在のジャズ喫茶の姿として示し、未来への希望へとつなげて終わる。

しかし私は、ジャズ喫茶の隠された多面性と歴史をなるべく正確に捉え、次の世代のために記録を残すように努めたい。それもジャズ喫茶という異空間に対し、尊敬の念を表する方法ではないだろうか。本書がそのような困難な作業のための、いささかの足がかりになれば、私にとってこの上のない幸せである。

これが末尾の言葉だ。

最後に「ジャズ喫茶の隠された多面性と歴史をなるべく正確に捉え、次の世代のために記録を残すように努めたい。」とあるように、本書では「ジャズ喫茶の多面性」を描きだすことにかなり成功していると私は思う。

だが、「ジャズ喫茶とはかつては閉鎖的な空間で若者たちに強制的な教育を施した文化的抑圧装置だった」という印象を本書から読み取る人が少なからず出てくるのはなぜだろう?

それはやはり、著者が第3章で取り上げた2人のジャズ喫茶マスター(厳密には1人はジャズバー)のエピソードと、その後に書かれた「感化されやすい若者たちを閉鎖的な空間に押し込め、自信たっぷりの、個性の強いマスターのお説教にしょっちゅうさらすという状況なので、その恐れは大いにあるのではないだろうか。カルトまでいかないにせよ、その密閉された空間と絶対的な忠誠心を強要するところに、ジャズ喫茶と宗教の場と類似性を見出すこともできよう。」という記述によるところが大きいのではないだろうか。

著者は、このような人間的に歪んだ空間を60年代の「硬派なジャズ喫茶」の姿としているようだが、はたしてそのような店が実在したのだろうか。

(次ページへ続く)

「ジャズ喫茶案内」運営管理会社。雑誌、書籍、ウェブなど各種メディアの取材、撮影、原稿執筆、編集を承ります。お問い合わせ、お仕事のご依頼、連絡先⇨mail@jazzcity.co.jp

AD & Recommendations

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

A D