シンポジウム/ジャズ喫茶の逆襲

シンポジウム/ジャズ喫茶の逆襲

大盛況だった昨年のいーぐる連続講演第593回「これからのジャズ喫茶を考えるシンポジウム」(2016年7月30日開催)の第2弾として、3月11日(土)、いーぐる連続講演第609回「これからのジャズ喫茶を考えるシンポジウム第2回/ジャズ喫茶の逆襲」が東京・四谷のジャズ喫茶「いーぐる」で開催された。

いーぐる連続講演ジャズ喫茶の逆襲

いーぐる連続講演第609回「これからのジャズ喫茶を考えるシンポジウム第2回ジャズ喫茶の逆襲」パネリストたち。左から後藤雅洋氏(いーぐる店主)、柳樂光隆氏(音楽評論家)、中平塁氏(DUG店主)。右端:司会進行/楠瀬克昌(ジャズ研ジャズ喫茶部)

パネリストに東京・新宿「DUG」マネージャー中平塁氏、東京・四谷「いーぐる」店主後藤雅洋氏、音楽評論家柳樂光隆氏の3名、ゲストコメンテーターとして、東京・新井薬師「ロンパーチッチ」店主齊藤外志雄氏、東京・四谷三丁目「喫茶茶会記」店主福地史人氏、ジャズ喫茶ファン代表柳川道一氏の3名が登場、「ジャズ喫茶案内」運営管理人、楠瀬克昌(ジャズ研ジャズ喫茶部)の司会進行のもと、予定時間を30分以上越えるトークが繰り広げられた。会場は昨年に続いて大入りの超満員、「ジャズ喫茶」に対する音楽ファンの関心の高まりをうかがわせたこのシンポジウムの模様を以下に再現する。

司会(楠瀬)今回のシンポジウムは二部構成となっています。第1部はパネリスト、ゲスト・コメンテーターの方々にそれぞれのジャズ喫茶体験やジャズ喫茶観を順番にお一人ずつ語っていただきます。第2部では「これからのジャズ喫茶」というテーマでパネリストによるトークセッションを展開します。では、これから第1部をはじめます。

はじめに、みなさまのお手元に「日本列島ジャズ喫茶&ジャズバーリスト」という冊子を配布いたしました。これは今年2月25日現在のデータです。なぜこれを配ったかといいますと、ジャズファン、なかでも50歳以上ぐらいのなかには、「ジャズ喫茶なんてもうほとんどなくなってしまっただろう、あったとしても残っている店はごくわずかだろう」と思っている人がけっこう多いんですね。

たとえば「私が学生時代に通った横浜の『ちぐさ』はまだあるんだろうか。たぶんもう閉店してしまっただろう……」とかツィッターでつぶやいている人をたまに見かけるんですが、そういうのはグーグルで検索すれば今は一発でわかります。『ちぐさ』はやってます(笑)。

いーぐる連続講演/楠瀬克昌

楠瀬克昌(ジャズ研ジャズ喫茶部) 1959年生まれ。ウェブサイト「ジャズ喫茶案内」運営管理人。合同会社jazzcity代表社員。元雑誌編集者。東京での出版社勤務を経て2013年に名古屋移住。

ネットで調べればすぐにわかることなんですが、中高年のジャズファンはどうもそういうことに疎くてなかなかできない。ジャズ喫茶のマスターのなかにもいまだにメールもやらないという人はけっこう多いですし(笑)。今回は、こうしたリストを印刷して配ることで、いま全国には552軒、まだまだこれだけたくさんのジャズ喫茶やジャズバーがあるということを可視化するという意図がありました。

この冊子は私が運営しております「ジャズ喫茶案内」というサイトに掲載している「全国ジャズ喫茶&ジャズバー・リスト」のデータをもとに作成しました。私がこのサイトをはじめた動機のひとつは、ウェブ上ではジャズ喫茶の情報がまだまだ足りないということでした。その点でこのリストは、サイトを作るうえで、いちばん力をいれたところです。また実際、いちばんアクセスの多いのがこのリストです。

それでは、登壇者の方々を紹介いたします。まず、新宿「DUG」のマネージャー、中平塁さん。「DUG」というとお父様の中平穂積オーナーの存在が巨大で、塁さんはその陰で店をずっと支えていらっしゃるんですが、今日はわざわざお出でくださってお話をしていただけるという、非常に貴重な、レアな機会であると思います。

「DUG」の創業は1967年ですが、いま東京で現存するジャズ喫茶のなかではいちばん古い日暮里の「シャルマン」、それから明大前の「マイルス」、浅草の「フラミンゴ」に次いで…いまはこれらの店は夜のみ営業のバーになっていますけど…いま東京で4番目に古いジャズ喫茶ということになります。その次に東京で古いのが、「DUG」のオープンと同じ年の12 月に創業した「いーぐる」です。今回はそのマスターの後藤雅洋さんにご登壇していただいています。

そしてパネリストの最後、3人目の音楽評論家柳樂光隆さんは、取材で遅れていますが、そろそろお見えになるようです。そのほか、ゲスト・コメンテーターとして、「ロンパーチッチ」の齊藤店主や全国のジャズ喫茶を巡っている「ジャズ喫茶巡礼者」のMitchさんという方々に順番におひとりずつお話をしていただく予定です。

ジャズファンが始めるジャズ喫茶って、まず失敗するんですよ

それでは、まず最初は後藤雅洋さんから、「ジャズ喫茶初体験談」などをお願いします。

後藤 僕が初めて行ったジャズ喫茶は、中平塁さんのお父様の中平穂積さんが1961年に新宿のアカシアのビルの3階で始めた「DIG」です。あれは16、17歳のころだったと思います。当時は高校生で、友だちに連れられて行きました。しかとは覚えていないんですが、おそらくジョン・コルトレーンの『アフリカ/ブラス』がかかっていたのではと思います。ものすごく強いショックを受けました。もちろんそのときはコルトレーンだとかわからなかったんですけど、「DIG」の体験は強烈でした。

その後、20歳になった大学2年生のときに、そこ(いーぐるの前の新宿通り)にまだ都電が走っていて、道の幅は半分ぐらいだったんですけど、(いまの『いーぐる』のすぐ近くで)僕の親父が「いーぐる」というバーをやっていて、それが開店休業状態だったんですね。それで親父に「おまえ遊んでるんだったら、仕事でもしたらどうだ」と言いつけられて、それじゃあ、ジャズ喫茶でもやってみようかということになりました。非常に軽薄な理由で始めたというのが発端ですね。

えー、こういう体験からもわかるように、20歳のころの僕は、ジャズに関心はありましたけど、そんなに詳しいわけでも、のめりこんでいたというわけでもなくて、ジャズ喫茶を50年近くも続けるなんてことになるとは、まったく思ってもいませんでした。

いーぐる・後藤雅洋/ジャズ喫茶案内

後藤雅洋 1949年生まれ。1967年、慶應義塾大学在学中に東京・四谷にジャズ喫茶「いーぐる」を開業。ジャズ評論家としても執筆、講演、ラジオ出演など幅広く活躍中。著書に『一生モノのジャズ名盤500』、『ジャズ喫茶の名盤500』(小学館)など多数。/いーぐる:東京都新宿区四谷1-8 TEL 03-3357-9857

それで、大学に行きつつジャズ喫茶をはじめたわけですが、開店したのは(赤穂浪士の)討ち入りの日だったのでよく覚えているんですが1967年の12月14日です。なにしろはじめたときは僕自身ジャズのレコードをほとんど持ってなくて、友達が持っていた200枚と僕がヤマハの渋谷店で買った200枚を足したものでぜんぶでした。

のちに(レコード会社の)イーストワークスの偉い人になった漆山(寿一)さんが当時、ヤマハ渋谷店のジャズ売場の主任で、たまたま僕の知り合いがそこでアルバイトをしていたということもあって、非常に有利な条件で、レコード200枚とオーディオセット、ぜんぶで200 万円ぐらいかな、僕が手形を切って揃えました。

僕は商学部だったので、公式の手形でなくても、手形要件を満たしていれば、個人でも手形を発行できることを知っていたんです。いまでも覚えているんですけど、画用紙を切って、それに手形要件を書き込んで、額面10万円の私製手形を200万円分作りました。よくそんなもの信用してくれたと思うんだけど(笑)、私製手形というのは、相手が受けてくれれば、それで通用するんですよね。

いまになって考えてみると、僕はジャズにはまったく詳しくなかったのがよかったと思っています。これはちょっと批判になるかもしれないんですけど、ジャズファンが始めるジャズ喫茶って、まず失敗するんですよ(場内笑)。ようするに、率直に言いますけどね、ジャズファンのジャズ観ってものすごく狭いんですよ。

それは別に悪いことじゃないんですけどね。ファンは好きなものを聴いていればいいんですから。しかしジャズ喫茶というのは、自分の好きなものをかけていればそれで商売が回っていくというような、そんな甘い世界ではないので。好き嫌いは抜きにして幅広く聴かないといけないのですね。

僕がジャズにあまり詳しくないので、当時スイングジャーナル編集長の児山紀芳さんとも懇意で非常にジャズに詳しい人が手伝ってくれて、わりとフラットなジャズ情報を教えてくれたのがよかったんですね。

当時はジャズ喫茶にとって非常に有利な条件があって、僕が大学2年のときに始めた店はこの(いまのいーぐるの)半分ぐらいのスペースしかなく、僕も商売とかまったくやったことがなかったので、右も左もわからなかったんですけど、それでもね、非常に儲りましたね。

私も独身ですし学生でしたからたいしてお金を使うわけじゃないんですけど、やっぱりふつうの学生よりははるかにお金になるんで、遊びまくってですね、非常に楽しかったんですけど(笑)、そのあとはなかなかうまくはいくようにはなりませんでしたね。

それで、大学4年になって就職をどうするかってけっこう悩みました。ジャズは高校生のころから聴いてましたけど、22歳のときは、ジャズをほんとうに把握していたとか、理解していたわけじゃなかったんですね。就職を蹴ってまでこういうことをやってていんだろうかと非常に悩みました。

大袈裟な話なんですが、そのとき僕はですね、ジャズという音楽は信頼に足りるものなのかどうか、ということがいちばん気になりまして。そんなときに『ジャズでいちばんすごい人は誰なんだ?』と、僕に最初にジャズのレコードを貸してくれた、中学の隣のクラスの友だちの茂木くんに訊いてみたら、『やっぱりパーカーじゃないか』と。

もちろん、店を始めたときから、茂木くんから借りたチャーリー・パーカーのサヴォイ盤とかあったので聴いてはいたんですが、なんか短いんですよね、3分ぐらいで終わっちゃうし、うるさいばっかりでまったく意味不明というか。これがいいのかまったく理解できませんでした。

ただ、「わからない」といってるわけにもいかないので、店が終わったあと、集中してパーカーをずっと聴いたんですね。そうしたらようやく、そのアドリブの凄さってのが実感できたんですね。

アタマでわかったということじゃなくて、体感したといっていいと思うんです。じゃあ、どこがいいんだって説明しろっていわれても困るんですね、これは身体(カラダ)の感覚ですから。そのときにパーカーの音楽はとんでもないものだということを実感して、これは本気になって職業としてやっていっていい音楽なんだなという確信を持ちました。というわけで、パーカーのサヴォイ盤から<バード・ゲッツ・ザ・ウォーム>をかけてください。

チャーリー・パーカー/コンプリート・スタジオ・レコーディングス・オン・サヴォイ・イヤーズVOL.3

チャーリー・パーカー/コンプリート・スタジオ・レコーディングス・オン・サヴォイ・イヤーズVOL.3/サヴォイ/1947年録音

えー、まあこういう演奏なんですけど、やっぱりジャズっていうのはとんでもない音楽だなっていうのを私は体感して、それがジャズ喫茶を続けていくことの大きな動機になっています。だからといって、ジャズ喫茶観やジャズ観みたいなものがすぐにできたかというと、そんなことはなくて、ほんとに、まあ右往左往してきたというのが実態です。

いまになってね、ようやく僕はジャズ喫茶とはどういうものかということが非常にはっきりと、明快に理解できるようになりました。

まず、批判めいたことになるかもしれないけど、ジャズ喫茶をやるうえでいちばん大事なことは、ジャズが好きってことが第一なんですけど、ジャズのことだけを考えていればいいというものでもないんですよ。またいっぽう、ジャズ喫茶は商売なんだからお客さんのことを考えなきゃいけない、それは当然なんですけど、お客さんのことばかりを考えていればいいというものでもないんですよ。

それとやっぱりいちばんいけないのがね、さきほども言いましたように自分はジャズ好きだからジャズ喫茶をやるんだというのがいちばんダメなタイプですよね。自分の好きなことをやって人からお金をもらおうなんて、そんな安易な考えで続くわけがないんですよね。

ジャズ喫茶の役割はなんなのかというと、僕はジャズという音楽と、ジャズを聴きたいと思っている人、あるいは潜在的にジャズを聴きたいと思っている人たちをつなぐ架け橋になることがジャズ喫茶の役割だと思います。そういう目的にたいしてはっきりとプロ意識を持つということ。

これは非常にむずかしいんですよね。ジャズにばかり傾くと、お客さんの意向がないがしろになっちゃうし、お客さん、ファンの意向ばかりを大事にすると、かんたんに言っちゃうと非常にコマーシャルな方向にいってしまう。

ジャズを非常にいい状態でもって、ジャズファン、あるいは潜在的にジャズに関心をもっている方々にどう伝えたらいちばんいいかということを真剣に考えてもらう、それが大事だと思うんですね。

正直いいますと、僕にいまそれができているかと言うとまだ模索中で、こういうやりかたがいいんだってことはとくに言えませんけど…。少なくともたんにジャズが好きだとか、ジャズのことを一生懸命考えているとか、ジャズファン第一だとか、そういった単純なスタンスではなかなかジャズ喫茶という場を維持することはむずかしいと思います。

まず第一にジャズに対する幅広く客観的な知識、これ必要ですよね。それともうひとつは、知識だけじゃなくて、それを体感するということですよね。身体でもってジャズという音楽を自分なりに把握する。これは好き嫌いとは関係ないわけですね。好きなものは聴くけど嫌いなものは聴かない、ということではジャズの全体像なんてまったく把握できませんから。

もちろん好き嫌いはあってもいいんですけど、できうるかぎりいまの新旧、それから世界中のジャズを聴いて、それを身体で把握する。最終的には自分なりの判断ということになるんですけど、その手前(の段階では)、あまり先入観をもたないようにする。

ここ数年のジャズというのは、ジャズだけを聴いていれば理解できるものではなくなっているんですね。それは(ジャズ)ミュージシャンがジャズだけを聴いているわけじゃないからです。ヒップホップとかワールドミュージックとか、最近はクラシックとか、彼らはいろんなものを聴いています。

ですから、ジャズに限らず、なるべく先入観をなくして知見を広くさせる。そうしたうえで自分なりのジャズ観を持ってジャズとファンとうまく結びつける、それがジャズ喫茶の役割ではないかと僕は思います。

ただまあ、これは僕の個人的な意見ですから、ジャズ喫茶の営業スタイルは多様であっていいと思います。ウチなんかは午後6時まで会話禁止という、ちょっと厳しいスタイルをとっているんですけど、それだけがジャズ喫茶のあり方だとは思っていません。会話自由で楽しくやるのもOKだし、場合によってはダンスなんかをやるフロアがあっても、ぜんぜんかまわないと思います。

というか、できればジャズ喫茶とはこういうものなんだという先入観を壊すような、新しく多様な営業スタイルの店がいっぱいあったほうがいいんじゃないかなと僕は思います……などと話していたら柳樂くんがいらっしゃいました。柳樂くんいらっしゃい。

(次のページへつづく)

「ジャズ喫茶案内」運営管理人。1959年生まれ。高知県出身。ジャズ喫茶初体験は18歳。ジャズライブ初体験は1978 年、 ジャズ喫茶「アルテック」(高知)でのビル・エヴァンス・トリオ。東京での出版社勤務を経て2013年、名古屋移住。jazzcity代表。

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