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書評  MILES:Reimagined 

書評   MILES:Reimagined 

Reimagineが意味するもの

本書の監修者/執筆者、柳樂光隆は、2014年に刊行した『Jazz The New Chapter』(シンコーミュージック・エンタテイメント)で注目される存在になった。グラミー賞を受賞したロバート・グラスパーのヒット作『Black Radio』を軸にグラスパーとその周辺人脈の音楽を紹介するとともに、彼らとほぼ同世代の新しい注目すべきジャズ、ひとことでいえば「現代ジャズ」の動向を取り上げた本だった。

1979年生まれの柳樂の若い感性と着想によるこのアプローチは、従来のジャズ・リスナー以外の音楽ファンの支持も得てヒットし、以降『2』『3』と計3冊の『Jazz The New Chapter』が刊行された。

本書『MILES:Reimagined』を、この『Jazz The New Chapter』シリーズのスピンアウト的なイメージで捉えている人も少なくないだろう。

今回登場する狭間美帆や黒田卓也へのインタビューにしても、いまもっとも期待されている若手ドラマーの石若駿と横山和明の対談企画や小川慶太の「マイルスと打楽器奏者たち」も、このシリーズを展開していく過程でつながった人脈から生まれたものだ。

また、本書ではマイルスの公式アルバム28 枚がピックアップされ、花木洸、八木皓平、小浜文晶、吉田ヨウヘイ、岡田拓郎、高橋アフィ、吉本秀純、長尾悠市らがそのディスクレビューを受け持っているが、古くからのジャズファンには、ここに挙げた執筆者たちの名前にはほとんど馴染みがないだろう。

彼らは、『Jazz The New Chapter』シリーズになんらかのかたちでこれまで関わってきており、「2010年代のマイルス・ディヴィス・ガイド」である本書が対象とする若い世代に向けての「言葉」を持ち合わせた人たちだ。

なかでも刮目すべきは、まだ20代の八木皓平だろう。ここでは『Miles Ahead』『Porgy and Bess』『Seven Steps To Heaven』について執筆しているのみだが、すでに語り尽くされたはずのこの3枚について、ギミックなしの正攻法で、21世紀の知性と感性からでしか産み得ない言葉によってマイルスとギル・エヴァンスの仕事の核心に迫っている。

また、ベテランの音楽ファンにもぜひとも読んで楽しんでいただきたいのが、廣瀬大輔、吉本秀純、柳樂光隆による「マイルス・デイヴィスの遺伝子」だ。

1960年代の欧州ジャズから70年代のエレクトリック・ジャズ、そしてCAN、菅野光亮、日野皓正、菊地雅章、近藤等則、ポップグループ、ジェリー・ゴンザレス、スクエアプッシャー、レディオヘッドなどからレバノンのトランぺッター、イブラヒム・マアルーフの2015年作品まで、時代や国境、ジャンルを越えてマイルス・デイヴィスのDNAが発見できる30枚のアルバムが紹介されている。

ジャズの主流からははずれてしまったと位置づけられているものや、いっけん周縁の音楽とみえるもの、これまでジャズの文脈ではまったく語られてこなかったものの中にマイルスの姿を見つけることができるのは楽しい。

そしてこれらの作品から生みでたものが還流して、いまの現代ジャズシーンに少なからぬ影響を与えていることを確認することができる。

さらに、もっとコアなジャズファンのためには、坪口昌恭がモード・ジャズとは何かについて解析した「『Kind Of Blues』の構造」、マイルスの第二期クインテットを詳細に分析した大谷能生の「1965年の『アンチ・ミュージック』」、そして2011年の第一弾以来続々とCBSソニーから公式発売されている4セットについて解説した村井康司の「『ブートレグシリーズ』を聴く」が用意されている。

「Jazz The New Chapter」とは、文字どおり「ジャズの最新章」ということだが、具体的にどういう音楽(ジャズ)を指しているのか、その像がなかなか見えづらいようだ。従来のジャズファンにしてみると「これがジャズなのか?」と疑問に感じるものも少なくない。

これまでのように「スイング」「ビ・バップ」「フリージャズ」「ポスト・コルトレーン」「ポスト・フリー」「フュージョン」といった〝モード/流行〟で「Jazz The New Chapter」をとらえようとする限りは、おそらく何もつかめないだろう。1枚のラベルを貼付けて仕分けられるものではないということだ。

たとえばロバート・グラスパーの『エヴリシングス・ビューティフル 』を聴いて「これのどこがジャズなんだ、どこがマイルスなんだ」と驚いたり、憤慨する人は少なくないだろう。

そんな人には、本書の最終章「PART7 1980-1991」を注意深く読んでいただきたい。

晩年のマイルスの作品と音楽についての解説は、野球でいえば「消化ゲーム」的な扱いを受けがちだが、本書ではマイルスの足跡をていねいに辿り、それを現代までへとつなげている。

柳樂光隆による「再考:ジャズ/マイルスとヒップホップ」は、マイルス・デイヴィスからロバート・グラスパーへと至る、ジャズとヒップホップの関係を解説したものと読んでもいいだろう。

ここでは90年代に入ってヒップホップから再注目されたウェルドン・アーヴィンを中心に、70年代半ばに表舞台から姿を消したアーヴィンが、彼の地元のニューヨークのクイーンズ、ジャマイカ地区でレニー・ホワイト、バーナード・ライト、そしてマーカス・ミラーたち、いわゆる“ジャマイカン・キャッツ”と自ら名乗る、ジャズからソウル、ファンク、ディスコ、ブラック・コンテンポラリーまでなんでもござれのミュージシャンたちを育てたこと、やがてこのジャマイカン・キャッツとその人脈が『TUTU』以降のマイルス・デイヴィスの音楽にかかわるようになったこと、そして同じくウェルドン・アーヴィンと関係のあった90年代ヒップホップの人気グループ、ア・トライブ・コールド・クエストのQティップや、ブルックリン育ちの大物ラッパー、モス・デフとロバート・グラスパーのコラボレーションをとおして、ジャズとヒップホップがつながるまでの過程が述べられている。

この柳樂の解説と、原雅明が1980年代以降のマイルスの活動についてまとめた「貪欲さを増した“復帰後”の作品が訴えるもの」を合わせて読めば、けっして「消化ゲーム」ではなかった晩年のマイルスの姿が見えてくる。

菊地成孔/大谷能生の『M/D』によると、マイルスは『ジャック・ジョンソン』の発表時、周囲の人間に「これでリズムは大丈夫か? 十分黒っぽいか? もっと黒くできる余地はないか?」と真剣に尋ねてまわったという(ソースは『マイルス・デイヴィスの生涯』ジョン・スウェッド著、丸山京子訳/シンコーミュージックのp338)。

また、ハービー・ハンコックも70年代の『スイングジャーナル』のインタビューで、以前はジャズが最高でジェームス・ブラウンなどはずっと格下の音楽と思っていて、ずいぶん後になってからファンクを勉強したという類のことを何度か話している。

マイルスやハンコックのようなモダンジャズ育ちのエリートにとって、たとえ技術や知識に長けてはいてもストリートギャング的なポップセンスを持ち合わせていないことは、70年代以降のブラック・ミュージックのマーケットに売り出していくうえでは大きな弱点だった。

ジャズ・ミュージシャンは、ファンクの演奏など簡単なことだと考えているようです。ファンクは単純だから、ミュージシャンはその音楽の枠組の中に入りさえすれば演奏できると思っているのです。でも本物のファンクを発揮できるプレイヤー達は、本物とニセのファンクをきき分けられるのです。感情が高まるにつれて、どんな音を使うべきかを彼らは知っているのです。ジャズ・ミュージシャンは簡単に合うと思っていますが、それは本人がそのつもりになっているだけで、その実「ファンク」というのは独特の領域であって、ある特定の“何か”がなければ本物のファンキーにはならないのです。その“何か”を体得しない限り、本物のファンキーにはならないのです。その秘密をいま私はようやく見つけはじめたところです。いまの演奏をさらに高揚させるために、私はまだあと少しファンクの秘密について見つけなければならないので、いまそれを学んでいます。いまでは、演奏がファンクになっているかどうかわかるようになりましたが、以前はそれすらわかりませんでした。私が「以前」というとき、それは去年の9月のことを指しています。長い間、音楽をやってきて、その実、私はファンクの何たるかすら知らなかったのです!

「ハービー・ハンコック、ブラック・ファンクを語る」インタビュー/レナード・フェザー 訳/山口優子 『スイングジャーナル』1974年6月号p117より抜粋

これは『ヘッド・ハンターズ』が大ヒットしていたさなかの1974年3月に、ハービー・ハンコックがジャズ・ジャーナリズムの重鎮レナード・フェザーのインタビューに答えたときのものだ。

誇張されてはいるのだろうが、ハンコックは『ヘッド・ハンターズ』を発表する直前、一カ月前までは自分の演奏がファンキーかどうかさえもわからなかったという。

いっぽう、マーカス・ミラーなどのジャマイカン・キャッツたちは、物心ついたころから地元でファンクのグルーヴを身につけてきた。

彼らが生まれながらにファンキーであったことは、ストリートの感覚に羨望の念を抱きつづけたマイルスにとっては大きな資産だった。

マイルスなら、テキサス州ヒューストンのストリートと教会で黒いグルーヴを身に浴びながら育ち、ニューヨークでジャズの教養やテクニックも習得したロバート・グラスパーをきっと共演相手に選んだだろう。

「もしマイルスがいま生きていたら」というコンセプトから映画『マイルス・アヘッド』を製作したドン・チードルが、サウンドトラック盤の制作者にグラスパーを指名したのは、慧眼といえるのではないか。

 左/ドン・チードル 右/ロバート・グラスパー

われわれは、ロバート・グラスパーの「Reimagine(=再考/再創造/再生)」という言葉が意味するものをよく考えてみる必要があるだろう。

ジャズの遺伝子を受け継ぎつつ、ミュージシャンそれぞれの流儀で過去のジャズの遺産をReimagineしていくのが、現代のジャズシーンであるかもしれないからだ。

グラスパーが語るように、マイルスが生きていたら、自分に対する紋切り型の「トリビュート」はやはりのぞまなかったにちがいない。

むしろマイルスなら「またオレのものを盗みやがった」と毒づくかもしれない。

マイルスのいう「ジャズとはソーシャル・ミュージック」とは、それはけっしてドレスのように自分の意のままに着替えられるものではなく、他者との関係において、己自身が背負った宿命を浮かび上がらせてしまうものではないか。

マイルスに最大限の敬意を払うためには、それぞれの宿命を自分のやり方で背負い、そこから今この時代に生きていることの証明をするしかない。ときには不遜なまでに。

 

本書の末尾である奥付には、2人の故人に捧げられたクレジットが印刷されている。

Dadicated to Yasuki Nakayama

______Chihiro Watanabe

中山康樹は、柳樂光隆がジャズ・ジャーナリズムにかかわるきっかけを作ってくれた人だ。

『JAZZ JAPAN』2011年5月号および6月号で<ジャズ〜ヒップホップの真実>と題された原雅明、DJ KENSEI、中山康樹、須永辰雄の4人による座談会が掲載されるが、この企画を仕掛け、コーディネートをしたのが柳樂だった。この座談会が端緒となって中山は『ジャズ・ヒップホップ・マイルス』(NTT出版)を書き下ろす。この座談会以前から、柳樂と中山は東京・四谷のジャズ喫茶「いーぐる」を介して交流があった。

その柳樂が、ジャズ評論家としてデビューするにあたって、中山を目標とし、そして乗り越えるべき存在と定めていたのはまちがいない。

このクレジットは、自身がマイルス本を監修、出版するにあたって、マイルス・デイヴィスに関する著作の第一人者とされた故中山康樹へ向けての一礼なのだろう。

そしてもうひとり、Chihiro Watanabeとは、2014年に亡くなった国分寺のジャズ喫茶「プー横丁」のマスター、渡辺千博のことだ。

国分寺のレコード店「珍屋」の店長を務めたこともある柳樂が、彼が学生時代から親しく通っていたジャズ喫茶が「プー横丁」だった。

1980年にオープンした「プー横丁」は、ジャズ喫茶とはいっても、オーソドックスな主流派ジャズをかけるだけではなく、亜流とされがちな周縁のジャズやソウル、ルーツミュージック、そしてブラジル音楽やアフリカンポップス、レゲエなどのワールド・ミュージックまでもかける店だった。

ジャズ批評社の『ジャズ日本列島』1981年版に掲載された「プー横丁」からのメッセージ欄には、おそらく渡辺マスターが書いたと思われる次のようなコメントがある。

「ジャズ以外の音を受けつけない人はご遠慮下さい。」

私もこの店のオープンから数年間、当時住んでいた吉祥寺から近いということもあって何度か出かけた。ひとことでいえばレイドバックした雰囲気の店だったが、当時、東京では中央線を中心に、「ジャズ喫茶」や「ロック喫茶」といった従来の型にとらわれずに音楽を勝手気ままに楽しむオルタナティブ指向の店が増えていた。

たとえば同じ頃にオープンして今も健在の下北沢のカフェ&ミュージックショップ「イーハトーボ」もそうだった。

「イーハトーボ」の店主は1975年に南青山にオープンしたレコードショップ「パイドパイパーハウス」のスタッフだったが、時代やジャンルにとらわれず、店主の感性でセレクトした音楽を提供していくという「パイドパイパーハウス」のスタイルは、「イーハトーボ」や「プー横丁」にも共通しており、ジャズやロックが、かつては強大だったその求心力を急激に失い、リスナーの興味や関心がそれまで顧みられることのなかったマージナルなものへと拡散しはじめた80年代初頭の時代の雰囲気をよく反映したものだった。

オーソドックスな主流派ジャズがまずありき、ではなく(今ではもう〝主流派ジャズ〟などはないのかもしれないが)、同時代の多種多様な音楽を見渡せる地平に立って現代のジャズをとらえようとする柳樂のジャズ評論家としての視点の置き方は、おそらく、このジャズ喫茶「プー横丁」でその素地が培われたものなのだろう。

いわばジャズ喫茶育ちのジャズ評論家という、みずからの出自を記したこの奥付は、本書の監修者柳樂光隆にとっての「ローズバッド」であるのかもしれない。

渡辺千博亡きあと、「プー横丁」はリニューアルしてジャズ喫茶の看板は完全に降ろし、新しい店主のもとで音楽を自由に楽しむ店としていまも営業を続けている。

(了)

(文中は敬称略とさせていただきました)

photo & text by 楠瀬克昌

『MILES:REIMAGINED  2010年代のマイルス・デイヴィス・ガイド』柳樂光隆監修/本体価格1600円+税/シンコーミュージック・エンタテイメント

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