ジャズ喫茶の作法とマナー

ジャズ喫茶の作法とマナー

リクエストはしない。

これが、いちばんハードルが高い。

「人はなぜジャズ喫茶でリクエストをしたがるのか」という本を書きたいぐらい、ジャズ喫茶の客はリクエストが好きだ。

だが、カラオケスナックで見ず知らずの他人の歌を強制的に聴かされて閉口した人は少なくないと思うが、ジャズ喫茶でリクエストをするという行為には、つねにこれに似たリスクがともなう。

ある地方都市の店を訪ねたときのことだ。

オープンしてまだ日が浅く、マスターも若くて、ジャズ喫茶とうたってはいないが、JBLのヴィンテージ・スピーカーとヴィンテージ・アンプを呼び物にしている喫茶店だった。

店のスピーカーの真正面の、ちょうど最適のリスニングポイントとなるあたりにゆったりと大きなチェアがあり、運良く空いていたので私はそこに座った。

そのときかかっていたのは、白人の男性ヴォーカルで50年代の録音だった。音量も小さめだったが、ボソボソと頼りなく歌うそのスタイルが、どうにも目の前の大きなスピーカーにはふさわしくないものだった。

たぶんこういう音源は、照明を暗く落としたジャズバーなどで聴くと、くつろいだ気分にさせてくれてアルコールも進むのかもしれない。だが、その店内は大きめの窓から明るい陽射しが差してくる健康的な雰囲気で、真夜中の秘めかなムードが漂うヴォーカルはどうも合わなかった。

それを20分近く聴かされてようやく終わるかと思ったときに、カウンターに座っていた50代後半ぐらいの男性客が「マスター、こんどはこれもかけてよ」と持ち込みのCDを渡した。

始まってみると、それもまた似たような白人男性ヴォーカルだった。チェット・ベイカーやマット・デニスやボブ・ドローならまだ楽しめるが、珍しいことだけが取り柄のような歌手のアルバムだ。

拷問のような時間が過ぎてようやく目の前のJBLが本領を発揮してくれるかと思ったら、こんどはマスターが「うちにある男性ヴォーカルといえば、こんなものしかないんですけど」といいながら、また、珍しいことだけが取り柄のような白人男性ヴォーカルをかけはじめた。

店に入ってからたぶん50分はたっていただろう。ジャズ喫茶でかかる盤にはそれほどこだわらない一緒にいた家人すらも「そろそろインストが聴きたいね」と私に耳打ちするぐらい、それは退屈な時間だった。

大きなJBLを前にして思いっきり脱力していた私の気配を察したのか、ようやく歌のないインストのジャズがかかった。それはコルトレーンの「バラード」だった。

私の大好きなアルバムだが、どうせインパルス盤をかけるなら、私ならギル・エヴァンスの「ホットへの突入」をかける。

マイルス・デイヴィスやビル・エヴァンスの演奏で知られる「イスラエル」の作曲者ジョン・キャリシがフィル・ウッズをフィーチャーしてまとめたラージ・アンサンブルと、アーチー・シェップ、ジミー・ライオンズ、サニー・マレイらを擁する セシル・テイラーのグループによるフリージャズではないがややアバンギャルドな演奏を交互に配したこの作品は、それまで単調で柔弱な白人男性ヴォーカルによって漂っていた店内のだらけきった空気をピシっと引き締めてくれるはずだし、多彩な楽器群を使った凝ったアレンジとダイナミックレンジの広いサウンドは、オーディオセットのポテンシャルを客にみせつけるにはうってつけだと思うからだ。

また、どうしても小編成にこだわるなら、JBLについて語らせたらいまでも日本一のオーディオ評論家、故岩崎千明がシステムチェック用のリファレンスとして好んで使った、やはりインパルス盤のソニー・ロリンズの「アルフィー」でも流してくれたら、たぶん、私のそれまでの欲求不満はすべて解消されてチャラになっただろう。

おそらくこの若いマスターはジャズ喫茶でアルバイトをした経験がなかったのではないか。

店の経営を考えるなら、自分好みの音源をかけてもらうことしか念頭にない目の前のカウンターの客よりも、特別オーディオ席で待ち構える一見(いちげん)の客に向けて、オーディオを呼び物にしている店としての実力をアピールするべきだった。

すっかり懲りてしまったこの客はたぶんもう二度と来ないだろう…いや、その客はたまたま私だったので、私はそんなことはしない。今回は間が悪かったのだと自分を納得させて、次回の訪問に期待をつなぐのである。

これとは好対照な例をひとつ挙げる。

これもやはり、JBLのヴィンテージ・スピーカーを売り物にしたジャズ喫茶で起きたことだ。

リー・モーガンがいつものべらんめえ調で痛快にトランペットを吹き鳴らし、ああ、スッキリしたなあ、とこちらの気分も昂揚してきた矢先に、とつぜん白人女性ヴォーカリストが歌う「ラウンド・ミッドナイト」がかかった。

エラ・フィッツジェラルドとかサラ・ヴォーンなら大歓迎だが、それは、味なフェイクも粋なスキャットもない、原曲のメロディどおりに抑揚のない調子でお人形さんのように歌うだけのパフォーマンスだった。

深夜に自室にこもってその金髪女性歌手の美しい姿態が印刷されたジャケ写を眺めながら独りで聴けば、これもまたしみじみと愛情が湧いてくるものなのかもしれない。

しかし、何が悲しくて昼下がりの明るい午後の喫茶店(その店は採光がよくてぜんぜん暗くない)で、その女性歌手のタニマチでもない私がこんな真夜中のテーマソングに付き合わなければならないのか。

これをリコメンドしてくれたのは中年の男性客だ。近くのレコード屋で買ってきたCDをマスターに見せて、これと同じものをレコードでかけてくれとリクエストするのを私は見逃さなかった。

スリルにまったく欠ける「ラウンド・ミッドナイト」が終わったあと、まだまだ続くのかと絶望的な気持ちで座っていたのだが、とつぜん鳴りはじめたのはズート・シムズのスインギーなテナーサックスだった。

マスターはその場の空気にふさわしくないと判断したのだろう、客のリクエストには1曲こたえただけで、さっとそれを切り上げてしまった。それは昔ながらのジャズ喫茶のリクエスト対処法だった。

往年のジャズ喫茶のマスターは、客のリクエストに対しては専制的だった。

これはその場にふさしわくない盤だと判断すると、すぐにはその盤はかけずに、何枚か他の盤を間に挟んで、その盤にうまく繋がるような流れを作った。2時間でも3時間でも客を待たせることもザラだった。

もっと極端な場合は、店でかけるべきではないと判断した盤は、たとえレコードリストに載ってはいても、「その盤は家に持って帰っていて店にはありません」とか「盤のコンディションが悪くてかけられません」などと理由をつけて断わるか、ほんとうに店の棚から消してしまっていることもあった。

ジャズ喫茶の選盤とは、ことほど左様にデリケートな作業なのである。

あなたは、それでもリクエストをして己の我を通したいですか? とは私は問わない。

なぜなら客にはまったく責任はないからだ。

リクエストを受け付ける以上は、客がどんなリクエストをしようが、それを巧くさばいて見せるのがジャズ喫茶マスターの仕事であり、ジャズ喫茶経営とはその技量が問われるものだと思う。

そしてリクエストへの対処が下手な店は、必ず客が離れていってしまう。

マスターの選盤というのは、いわばそのマスターのジャズに対する批評行為のようなものだ。店によって異なるその個性と主張を楽しむことのほうを私は好む。だから私はリクエストをあまりしない。

だが、街角を歩いていて突然、誰かのレコードや曲が聴きたくなって、ジャズ喫茶に駆け込んでそれをリクエストするなんていうのも、ジャズ喫茶ならではの楽しみである。

そして多くの店はいまもリクエストは大歓迎だ。

だからリクエストをしてはいけないとはいわないが、ただ珈琲を飲んで座っているのとは違って、リクエストというのは、その場にいる人たちのそれぞれのジャズ観、趣味趣向に一歩踏み込むことはまちがいない。

けっして危うきに近づきたくない人は、リクエストを避けてその店と水の如き交わりを楽しまれたほうがよいと思う。

それはともかく、大名盤をリクエストするとマスターや他の客から怒られたりバカにされるという話がよくネットなどに書き込まれているが、やや脚色の付いたものだなと感じながらも、事実だとしたらおかしなことだと私は思う。

岩手県一関のジャズ喫茶「ベイシー」でのことだ。大きなJBLのスピーカーがあり、ジャズ喫茶のオーディオでは日本一と呼ばれる店だ。

40代ぐらいの男性客が、菅原正二マスターに近づいて、「初心者なんですけど、リクエストいいですか?」と話かけた。

ウェス・モンゴメリーの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」が聴きたいという。

タイトル曲は、ビートルズの有名曲をギターのウェスとオーケストラのアンサンブルでまとめたものだ。

いい盤であることに違いはないが、イージーリスニングのようにも聴こえるため、ジャズギターの第一人者ウェス・モンゴメリーが売らんかなのコマーシャリズムに堕したアルバムという意見も少なくはない。その道の言葉でいえば「シャリコマ」と切って捨てる人もいる。

私も「天下のベイシーでそれをリクエストするか?」と内心ヒヤッとしながら菅原マスターの顔色をうかがったのだが、マスターはポーカーフェイスで「うちではめったにかけないから探してみなきゃ」と応えて、カウンター奥のレコード棚に向かった。

けっこう時間をかけて棚のあちこちを探し、ようやく出てきたウェス・モンゴメリーの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」をマスターがかけた。

素晴らしかった。

「ベイシー」は客のいない早い時間帯にはチャイコフスキーなどのクラシックをよくかけているという話があるが、これは都市伝説ではなく本当だ。

ふだん、そういうものをかけていることもあってか、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」に入っているドン・セベスキーが編曲したオーケストラの生ストリングスのサウンドが、実に艶があって美しい。

やっぱりこれは名作だと感心した。

片面が終わったあと、その男性客はまたカウンターに向かって歩き出し、「次のリクエストいいですか?」とマスターにおねだりをした。

どうも最近は何枚もリクエストをする客が珍しくないが、昔は、リクエストはワンオーダーにつきレコードの片面1回というルールの店が大半だった。

伝票の隅にリクエストカードがついていて、そこにアルバム名とミュージシャン名とレコードのA面かB面かのどちらかを書きこみ、ミシン線を切り取ってそれを店の人に渡すか、または伝票と一緒についてくる小さなリクエストカードを使うという店も多かった。2回目のリクエストをしたいときは、追加オーダーをしてもう1枚、伝票かリクエストカードをもらうというシステムだ。

この男性は、追加オーダーもせずに2度目のリクエストをしたようだった。しかも、マル・ウォルドロンの「レフト・アローン」だと。

もしジャズ喫茶の歴代リクエスト・ランキングをつくってみたら、堂々の第1位に入るのではないかというほど、マル・ウォルドロンの「レフト・アローン」はジャズ喫茶でよくかかる。

私もジャズ喫茶で数えきれないほどこれを聴いたし聴かされた。正直、そんな耳タコ盤はもう十分、かんべんしてくれよと私は「初心者の客」を心の中で呪った。

リクエストを受けた菅原マスターは、無言でポーカーフェイスを崩さぬまま、ふたたび奥のレコード棚に向かった。

こんどもまた、レコードが出てくるまでにけっこう時間がかかった。やはりこれも、いまはめったにかけない盤だったのだろう。

「レフト・アローン」のテーマが鳴り始めた。

もう何十年も何十回、何百回も聴いたアルバムだったはずだが、それはこれまで聴いたことのなかった「レフト・アローン」だった。

ジャッキー・マクリーンのアルトサックスが「鳴く」というよりも「哭く」という言葉がふさわしいように「ベイシー」の空間を震わせた。

肺腑をえぐられるような、慟哭だった。

名盤というのは何度聴いても新しい発見があるものだということを改めて思い知った。

もしあなたがリクエストをしたときに「そんな大名盤を? 初心者め」とあざ笑う人がいたとしたら、それはリクエストをした人がおかしいわけではない。

きっとほかの何かが間違っているのだ。

(了)

【トップの写真:一関のジャズ喫茶「ベイシー」】

「ジャズ喫茶案内」運営管理人。1959年生まれ。高知県出身。ジャズ喫茶初体験は18歳。ジャズライブ初体験は1978 年、 ジャズ喫茶「アルテック」(高知)でのビル・エヴァンス・トリオ。東京での出版社勤務を経て2013年、名古屋移住。jazzcity代表。

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COMMENTS & TRACKBACKS

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  1. by マル・ウォルドロン

    初めて来ましたが、初心者はやっぱりウザい存在なんですね。
    想像通り敷居が高いのがよく分かりました。

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