東京・四谷 いーぐる  ジャズ喫茶の物語

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東京・四谷 いーぐる  ジャズ喫茶の物語

ジャズ喫茶「いーぐる」の個性とは

「ディスクチャート」に関することを長々と書いてきたが、「いーぐる」が50年を越える歴史を刻むことのできた秘密は、こうした「前史」にあるのではないかと思う。

1967年に創業したとき、後藤雅洋店主はまだ20歳の大学生だった。開店時は手持ちのレコードはほとんどなく、ヤマハ渋谷店で手製の手形を切って200枚のレコードを購入したという。

そのレコード購入リストは、慶應中等部の同級生でジャズに詳しかった茂木信三郎が作成したもので、後藤店主の意見は一切入ってなかったようだ。このヤマハ渋谷店で買った200枚と茂木所有のレコード200枚の計400枚が、「いーぐる」創業当初のレコード・コレクションだった。

ロック喫茶「ディスクチャート」のコンセプトを作り上げたのは日野原だったが、ジャズ喫茶「いーぐる」のコンセプトを作り上げたのは、この茂木信三郎だった。

「茂木君はレコードリスト製作に留まらず、お互いに大学2年だった開店当初から卒業間近まで、旧店舗の屋根裏にあった6畳ほどの狭いスペースの2段ベッドで私と同居しつつ『いーぐる』のレコード係をやってくれたのです。彼は当時のキッコーマンの社長の甥にあたり、ヤマハ渋谷店ジャズ売り場でアルバイトをしていた関係で、ヤマハ渋谷からレコード、オーディオ製品購入の便宜を図っていただいたのです。」

「彼はほとんどジャズについて無知に近かった私に、ジャズの知識を一から教えてくれただけでなく、現在も活躍されておられるジャズ評論家、岡崎正通さんや佐藤秀樹さんを開店当初の『いーぐる』に連れて来てくれたのです。なぜそんなことができたかというと、彼は若いのにジャズの知識が豊富だったので、当時の『スイングジャーナル』編集長、児山紀芳さんと仲が良く、ジャズ界の人脈に通じていたからです。茂木君は私がジャズ喫茶を始めるときほんとうにお世話になった大恩人です。彼はその後マンズワインの社長になりましたがつい最近惜しくも亡くなってしまいました」(後藤店主)

当時の後藤店主は、ジャズにかんしても喫茶店営業にかんしてもほとんど素人だった。

それでもジャズ喫茶経営は当たった。その理由は、ひとつは60年代初めから続いていたジャズ喫茶ブームの追い風がまだ吹いていたこと、そしてもうひとつは、豊富なレコード・コレクションを持つ有名ジャズ喫茶店との競合を避けて、当時はまだ珍しかった「ヴォーカルとピアノ・トリオ」に特化した店というアピールに成功したからだという。この「ヴォーカルとピアノ・トリオ」にこだわったのも茂木信三郎の助言によるものだった。

しかし1970年頃から商売の風向きが変わってくる。多くの若者の関心はジャズからロックに移り変わりつつあった。それは、それまでユースカルチャーの王座にいたジャズがロックにその座を明け渡す過度期だった。後藤店主が1972年秋に「ディスクチャート」を開店したのもそういう時代の空気を感じていたからだろう。

ただ、日野原幼紀が音楽プロデューサーを務め、長門芳郎たちがオペレーションを担当した「ディスクチャート」にはまったく客が来なかった。それは「ディスクチャート」で流れる音楽が、当時の日本のロックファンのニーズがもっとも多かった、先述の新宿のロック喫茶「ソウル・イート」でかかるようなヘヴィーなハード・ロックやプログレッシブ・ロックではなく、アメリカのシンガー・ソング・ライターたちを中心とするライトなロック&ポップスで、先に引用した船津潔の言葉を再び引用すると<「こんなのロックじゃない」と毛嫌いするタイプの音楽が流されていた>からだった。

先述のロック喫茶「ソウル・イート」はグランド・ファンク・レイルロードが大音量でかかることで有名だったが、こうした音楽は「ニュー・ロック」と呼ばれていた。レッド・ツェッペリンやピンクフロイドなどがその代表で、音楽的な特徴を指すというよりも「ポスト・ビートルズ」的な意味合いが強かった。

いっぽう「ディスクチャート」で流れていたのは、「ニュー・ロック」の真逆に仕分けられるものだった。それはコルトレーンやマイルス全盛の時代にスタン・ゲッツやチェット・ベイカーばかりをかけるジャズ喫茶のようなものだった。シュガー・ベイブがデビューした当時、オーディエンスから「軟弱」という批判もあがったそうだが、「ディスクチャート」でかかる音楽も同じ傾向のもので、当時の時代のニーズにはそぐわないものだった。

移転による立ち退きという背中を押すような事情があったにせよ、わずか半年で「ディスクチャート」を閉めた後藤店主の経営判断は正しかった。そしてこれを契機に、それまでは周囲の助言を中心に店のかたちを作り上げてきた「いーぐる」の経営方針に後藤店主自身の個性が強く反映されることになったようだ。

客が来なければ店は潰れる。ジャズ喫茶経営は趣味や遊びでやるものではないという、今日まで続く後藤店主の理念はこの頃から生まれたのではないだろうか。

後藤店主は「いーぐる」を新規開店させるにあたって、まずはオーディオ装置を「ディスクチャート」時代から全面的に取り替えた。

ディスクチャートをやめて、ジャズ喫茶でタンノイでジャズ再生すると、いいのもあるんだけど、シンバルなんか、お猿が太鼓たたいているみたいにしょぼくなっちゃうんだよね。マックス・ローチですらね。ピアノトリオとかはまあまあで、ヴォーカルはすごく良かった。カーメン・マクレーや、クリス・コナーなんかはタンノイで聴くといいわけ。でも、マックス・ローチやエルヴィンがお猿の太鼓になったらイカンからね。それで変えたんです。(いーぐる50周年記念小冊子『いーぐるに花束を』所収「後藤、興奮! 今明かされる『いーぐる』オーディオ秘話 後藤雅洋×田中伊佐資」より引用)

この時、「いーぐる」のスピーカーは、日野原が推薦したタンノイのレクタンギュラー・ヨークからJBLのL-45フレアーに変わった。移転前の店で鳴らしていたJBLの「ノヴァ」も使わなかった。長くなるがこの時の経緯を前述の対談から抜粋しよう。

田中:お店がかわった時に、オーディオも一新したんですか?
後藤:そうです。店が広くなったので、いくらなんでもノヴァじゃ無理なんで、フレアー(Flair)にしたんです。
田中:まだJBL体験は生きてるんですね。
後藤:そう。これもよく覚えているんですけど、フレアーっていいスピーカーだと思った。
田中:フレアーっていうのはどういう構成なんですか?
後藤:ウーハー(低域)が130A。
田中:38センチウーハーですよね。D130ではないんですね。
後藤:Dじゃなくて、A。中高域は175。
田中:1インチのドライバーが入っているやつですね。 ツイーターじゃなくて、コンプレッション・ドライバーで前に飛ばせる。
後藤:そう、このフレアーで聴いた、ハード・バップは最高でしたよ。ジャッキー・マクリーンなんて、バリンバリン。そのオーディオ体験でいうと、この時はラックスのSQ-507Xだったんだけど、その後印象的なのはさ、ハーマンカードンのサイテーションっていうあんまり高くないアンプ知ってる?65ワットぐらいしか出ないセパレートのやつ、あれが安くでたんですよ。出力は下がるんだけど、アメリカ物だからって、20万ぐらいだったと思うんで、買ってつないだらすごいいい音したの。
田中:これはオーディオ衝撃度の何番目なんですか?(笑)
後藤:このあとまだあるんですよ(笑)。オレ、何だか興奮してきちゃった(笑)。ラックスなんかに比べると、ハーマンカードンは音が荒いんですよ。
田中:ここで初めて国産から、オールアメリカンになった。ある種の大きな転換期ですよね。
後藤:安いアンプだから、雑な音なんだけど、ガッツがあるの。だからマクリーンに元気が入ったっていうか注射が入ったって言う感じ。
田中:原稿上は××を打った、みたいな(笑)。
後藤:そうなるとさ、オレってそういうとこバカなんだけど、そうなるとこっちも興奮して線を2倍にしたみたいな事考えるわけですよ。それはどういう事かっていうと、オーディオマニアにたきつけられて、ハーマンカードンのアンプってセパレートなんだけど、65ワットぐらいしか出力ないんですよ。でもね、このアンプの出力を倍にする方法があるっていうんですよ。「どうすればいい?」って聞いたら、1:2のトランスで変換すると出力が倍になるって。
田中:トランスで出力を倍にする?
後藤:ただし、そうすると設計上の倍の電流が流れるわけだから、熱くなって、絶対そういう使用をしちゃいけないんだけど。だからどうするかっていうと、ファンでもって冷やすの。秋葉原に行って、小型ファンを買って仕込んで強制空冷で。
田中:トランスも中に仕込むわけですか?
後藤:いや、外付けにして。これがすごい音するんですよ。
田中:その話、もろにジャズ喫茶ですよね。
後藤:たまんないの。
田中:昔はなんでもありの時代でした。
後藤:それはたしか電気的知識のある工学部の知り合いが教えてくれた。「でも危ないから火事になっても知らないよ」っていうから、「冷やしゃいいんだろ?」って。
田中:まあ、理屈でいえばそうですけどね……。
後藤:機械も熱くなるけど、出てくる音もホント熱い。だから歴代の音の中で、一番ガッツがあったのは、このフレアー+ハーマンカードンにトランスで無理に気合いを入れた時期だね。
田中:現実的にも熱かったし、音も熱いと。
後藤:マクリーンなんかはたまんないわけ。でも問題もあって、やっぱり1年ぐらいで壊れちゃった(爆笑)。
田中:普通そうでしょう。
後藤:アンプがおかしくなっちゃったんで、ハーマンカードンに持っていったら、「何か、ヘンな使い方していませんか?」って言われたんで、「いや、実は」っていったら、「そんなの保障できない」って言われた。
田中:そりゃ、無理ですよ。(笑)

この後、 JBL4343BからJBL4344に変わった話など、「いーぐる」のオーディ装置の変遷や後藤店主のオーディオ観などが語られているが、田中伊佐資のMUSIC BIRDのウェブコラム第174回/後藤雅洋さんが語る「いーぐる」のオーディオ遍歴が小冊子になった11月」に小冊子から抜粋されたものが掲載されているので、さらに興味を抱かれた方はこちらで読んでほしい。

この対談からは、後藤店主が最も好むサウンドとは、オールドJBLで50年代のハードバップをバリバリ鳴らすことにあることがうかがえる。しかし、店を移転してからしばらくはそれでよかったが、フュージョンブームの到来によって店のオーディオシステムもその変化を余儀なくされる。後藤店主は、たんに自分の趣味を満足させるだけでは、いずれ客足が遠のいていくことを予見していた。

後藤:ターボエンジン付きの強制空冷でフレアーの組み合わせでいくと、マクリーンは最高だけど、ウェザーリポートはやたらうるさくなるんです。熱いんじゃなくて、やかましい。それでまずいなと思って、JBLの4343Bに変えたんです。2ウェイだと、コントロールの幅が狭いから、簡単に言うとブルーノートのマクリーンやモブレーは良くても、ウェザーみたいなエレクトリックジャズは上手く再生できない。ましてやECMなんかはアウトなんですよ。ECMをいい音で鳴らそうとすると、マクリーンに元気がなくなっちゃう。(いーぐる50周年記念小冊子『いーぐるに花束を』所収「後藤、興奮! 今明かされる『いーぐる』オーディオ秘話 後藤雅洋×田中伊佐資」より引用)

このことを後藤店主は『ジャズ喫茶リアルヒストリー』(河出書房新社)では次のようにも説明している。

かつては、今までジャズには無かったエレクトリック・サウンドを、いかに嫌な音を出さずにしかも迫力のある音で再生するか、あるいは、ブルーノートなどの分厚くコクのある音と、新生ECMレーベル独特の透明感をいかに両立させるかといった、切実な問題があった。

 

ジャズとジャズファンとの間を結ぶ

「いーぐる」のオーディオが入門者的なオーソドックスなジャズから最新ジャズまで、可能な限り広く対応することを志向しているのは、「ジャズ喫茶は可能な限り、幅広い客層の要望に応えなければならない」というポリシーがあるからだろう。それはジャズ喫茶の役割をどうとらえているのかということに繋がる。後藤店主は「いーぐる」の連続講演として開催された2016年7月のシンポジウム「ジャズ喫茶の逆襲」でこのように語っている。

ジャズ喫茶の役割はなんなのかというと、僕はジャズという音楽と、ジャズを聴きたいと思っている人、あるいは潜在的にジャズを聴きたいと思っている人たちをつなぐ架け橋になることがジャズ喫茶の役割だと思います。そういう目的にたいしてはっきりとプロ意識を持つということ。

これは非常にむずかしいんですよね。ジャズにばかり傾くと、お客さんの意向がないがしろになっちゃうし、お客さん、ファンの意向ばかりを大事にすると、かんたんに言っちゃうと非常にコマーシャルな方向にいってしまう。ジャズを非常にいい状態でもって、ジャズファン、あるいは潜在的にジャズに関心をもっている方々にどう伝えたらいちばんいいかということを真剣に考えてもらう、それが大事だと思うんですね。

「いーぐる」の連続講演は、1993年から始まり2019年12月末までに673回行われ、現在も継続中だ。講演者はほぼ毎回異なり、土曜日の午後3時30分から午後6時までの2時間半、音楽に関するものなら何を発表してもかまわないが、その発言を裏付ける音資料を参加者に聴かせることを義務づけて行っている。当初はジャズ関係者による講演が多かったが、やがてラテン、ソウル、ロック、クラシックなど音楽全般のジャンルにまで及ぶようになった。

この連続講演が生まれたきっかけは、1988年に上梓された後藤店主にとっての初めての著書、『ジャズ・オブ・パラダイス』(JICC出版局)だった。この本で紹介している101人のミュージシャンの303枚のアルバムすべてを、毎週土曜日に2時間ずつ、本から該当個所をコピーして配り、後藤店主の解説付きで音源かけるというイベントを約2年間にわたって行った。

この連続イベントが終了後、ジャズ関係者や評論家などをパネリストとして、「ジャズとどう向き合うか」「ジャズについてどのようなスタンスで語るか」をテーマとしたシンポジウムを2回試みるが、後藤店主が期待していたような場とはならず、その大きな原因は、ジャズとジャズファンとの間を結ぶプロとしての評論家が不足としていることではないかと後藤店主は考えるようになる。

そして後藤店主は、《ジャズとジャズファンとの間を結ぶプロ》として自身がその役割を担うとともに若手のジャズ関係者の人材育成を目的として連続講演を開始する。こうした活動が1990年代から2000年代にかけて、後藤店主をはじめ、村井康司、藤本史昭、杉田広樹、都並清史、高野雲などのジャズ評論家、ライターを輩出し、2010年代に入ると、世界的なジャズの最新トレンドを取り上げて紹介し、この10年間でもっとも話題を呼び、影響を与えたムックシリーズ『Jazz The New Chapter』Vol .1〜Vol.5(シンコーミュージック)の監修者、柳樂光隆が登場した。

鼎談集『100年のジャズを聴く』(シンコーミュージック・エンタテイメント)を上梓した3人の「いーぐる」ゆかりのジャズ評論家。(左から村井康司、後藤雅洋、柳樂光隆)/2017年11月11日,いーぐる

そして「ジャズという音楽と、ジャズを聴きたいと思っている人、あるいは潜在的にジャズを聴きたいと思っている人たちをつなぐ架け橋になること」という後藤店主の生涯を通しての目標がもっとも大きな成果となって実ったのが、史上初のジャズ・レコーディングがされてから100年を記念して、後藤店主が監修者となり、2014年から2019年まで発行された小学館の隔週刊CD付きマガジン「JAZZ 100年」シリーズだ。

2014年のPart1「JAZZ100年」全26巻から始まったこのシリーズは、2015年 のPart2「ジャズの巨人」全26巻、Part3「ジャズ・ヴォーカル・コレクション」全52巻、Part4「JAZZ絶対名曲コレクション」全14巻と続き、全シリーズで計118巻、累計発行部数が200万部を超えるという、ジャズ関連書では例のない記録を達成した。

2014年から足掛け6年間にわたって刊行されたCD付き隔週マガジン、 「JAZZ 100年」シリーズ。創刊号の表紙はビル・エヴァンス。テーマは「まずピアノ・トリオから始めよう」だった。

また、1988年に『ジャズ・オブ・パラダイス』で初めての単著を出版して以来、後藤店主はベストセラー『一生モノのジャズ名盤100』(小学館/2010年)などの単著をはじめ『100年のジャズを聴く』(後藤雅洋、村井康司、柳樂光隆/シンコーミュージック/2017年)など、単著、共著合わせて27冊の著書を上梓してきた。

このように講演会主宰や執筆活動、出版活動を続けるとともに、創業以来50年間、「ディスクチャート」の挫折はあったものの、競合他店が飲食店経営などの多角化に手を伸ばすいっぽうで、「いーぐる」は愚直なまでに「ジャズ喫茶一本」という経営方針を守り、東京都心の一等地での営業を続けて生き残った。

後藤店主は自らの行動について、この「愚直」という表現をよく用いるが、この50年間、時代のさまざまな波を乗り越えることができたのは、「ディスクチャート」での出来事に象徴されるように、ジャンルにこだわりなく周囲の多種多彩な音楽や才能を受け入れて吸収し、自身の知見を広げていこうと努めてきた後藤店主の柔軟なスタンスもその要因としてあるのではないだろうか。

また後藤店主は「僕は店を始めた当時はジャズについて素人だったからこそここまでやってこられた」ともよく語るように、自分はジャズの専門家であるという過信がなかったがゆえに、フラットな視点で周囲の意見を受け入れ、吸収することができたことも「いーぐる」がここまで続いてきた理由なのかもしれない。

 

(次ページへつづく)

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